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October 22, 2006

日本人の戦争体験と奴隷根性−『民主と愛国』

 小熊英二著『<民主>と<愛国>−戦後日本のナショナリズムと公共性』は、分厚い本だったが、意外と読みやすい本だった。
 本の内容は一言ではとても言い表せないのだが、ポイントとしては次の二点ではないかと思った。戦前、戦中、戦後と日本人の奴隷根性は変わらなかったこと。同じ時代であっても、戦争体験の違いによって、その人のものの見方が他の人と大きく変わること。

 個人的な感想としては、戦争という内容なので仕方がない面もあるのだが、何か暗い情念に満ちていて、読んだ後、自分の目が血走っているのがわかった。さらに、戦争と政治に興味はあっても、戦後民主主義と戦後知識人にはそれほど興味がわかなかったので、どちらかというと、まだ全部読んでいないジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の方が私の好みだった。そんな私の好みはともかくとして、『<民主>と<愛国>』が『敗北を抱きしめて』に並ぶ傑作であることは間違いないだろう。

 余談になるが、吉本隆明と江藤淳が対照的な性格であることが印象的だった。たくましい(溺れても死なない!)吉本隆明に比べて、妻を追って自殺してしまう江藤淳。大江健三郎の『万延元年のフットボール』について、大江に「いつまでもそんなことをしていると大人になれないぞ」というような批判をした江藤に対して、大江は「江藤さんは自分の内面を誠実に見ている人だと思うけれども、他人の内部についてはあまり誠実に見ないと思いますね」と江藤に指摘したという。私も、江藤淳は問題があったとしても、基本的には誠実でいい人だったのだろうと思った。

 ここからようやく今回の本論に入るのだが、分厚い本の中から、私が興味深いと思った、戦時中と60年安保の話を抜粋したい。
 安倍首相が祖父である岸元首相を良く思いたい気持ちはわかるが、60年安保の採決でヤクザを使って、与党にも知らせないで独断で強行採決してしまった岸の政治手法を知っていれば、岸に対して弁護の余地もないはずである。よく誤解されているのだが、60年安保では、安保改定の是非以前に、民主主義を否定するような岸の政治姿勢が問題とされたのである。

第1章 モラルの焦土
p.33-34
 元連合艦隊参謀長の日記によると、「大和」出撃のきっかけは、海軍の軍令部総長が、沖縄への特攻作戦計画を天皇に上奏したことだった。そのさい、「航空部隊丈の総攻撃なるや」と天皇の質問があり、総長がその場で「全兵力を使用致すと奉答」したのである。
 こうして、何らの準備もないまま急遽出動を命じられた艦隊は、一方的な空襲をうけて壊滅し、四千名ちかくが死んだ。しかし、そうした命令を下した命令官や参謀が、作戦失敗の責任を問われることはなかった。
(中略)
 特攻隊員の遺書をはじめ、兵士の手紙は軍に検閲されており、定型的な美辞麗句以外の内容は書けなかった。いわゆるエース・パイロットとして知られる坂井三郎は、戦後のインタビューでこう述べている。「当時の新聞でも、海軍部内広報でも、敷島隊(最初に認定された特攻隊)が壮烈なる体当たり攻撃をやった。これによって、海軍航空隊の士気が高揚したと書いてある。大嘘。士気は低下しました。」「全員死んでこいと言われて、士気が上がりますか。……間違いなく下がったけれども、大本営と上の連中は上がったと称する。大嘘つきです。」

p.63
 丸山眞男は1951年の論文で、戦前の教育は個々人の責任意識に根ざした愛国心を育てたのではなく、「忠実だが卑屈な従僕」を大量生産したにすぎなかったと論じている。評論家の小田切秀雄は1946年に、「鬼畜米英」から「民主主義」礼賛に衣替えした者たちを評して、「このような手合には本来『転向』などというものはあり得ない」「迎合するに当ってご主人が変ったというに過ぎぬ」と形容した。

第12章 60年安保闘争
p.507
 1956年の教育委員会法案も、警官隊を導入して強行採決が行われたが、新安保条約の採決はそれ以上に暴力的なものであった。この5月19日に、岸を中心とした自民党主流派は、議員秘書のうち女性や老人を青年名義にとりかえ、総勢六百名ちかい「秘書団」を編成した。社会党側はこの日の午後、本会議場の外交官専用傍聴席に、自民党が雇った「ヤクザ風の男」たちが集結していることに気づいた。

p.509
 この強引な採決方法は、じつは自民党内でも、十分に知らされていなかった。清瀬議長も多くの議員も、会期延長だけの議決だと思っていたところ、岸の側近に促された議長が新安保条約採決を宣言し、一気に議決してしまったというのが実情だった。
(中略)
その重要条約が、このような方法で議決されることに抗議し、自民党議員27名が欠席した。
 その一人であった平野三郎は、こうした方法で「安保強行を決意するような人に、どうして民族の安全を託し得ようか」と岸を批判した。三木武夫や河野一郎も退席し、病気療養中だった前首相の石橋湛山は「自宅でラジオを聞いて、おこって寝てしまった。」議場突破の状況に反発して帰宅した松村謙三は、車中のラジオで安保可決のニュースを聞き、「『ああ、日本はどうなるのだろう』と暗然とした」という。

p.510
 元A級戦犯である岸が、アメリカの好意を買うために強行採決を行ったとみなされたことは、強い反発を買った。『東京新聞』のコラムは、岸を「天皇の名によって戦争という大バクチをやり、甘いしるを思いきりすった、このキツネ」と形容し、「アイクの訪日も、トラの威をかりようとするキツネの悪ヂエ計画だ」と評した。

p.511
 さらに鶴見俊輔は、こう述べている。

 ……戦時の革新官僚であり開戦当時の大臣でもあった岸信介が総理大臣になったことは、すべてがうやむやにおわってしまうという特殊構造を日本の精神史がもっているかのように考えさせた。はじめは民主主義者になりすましたかのようにそつなくふるまった岸首相とその流派は、やがて自民党絶対多数の上にたって、戦前と似た官僚主義的方法にかえって既成事実のつみかさねをはじめた。それは、張作霖爆殺−満洲事変以来、日本の軍部官僚がくりかえし国民にたいして用いて成功して来た方法である。……5月19日のこの処置にたいするふんがいは、われわれを、遠く敗戦の時点に、またさらに遠く満洲事変の時点に一挙にさかのぼらした。私は、今までふたしかでとらえにくかった日本歴史の形が、一つの点に凝集してゆくのを感じた。

October 01, 2006

トクヴィルを手がかりに民主主義を考える(3)

 前回に続いて、『アメリカのデモクラシー』第1巻から、民主主義に関して、私なりに抜粋したものを紹介したい。
 引用した部分は、大衆政治の欠点、自由と専政、地方自治、多数の専政等について。
 チャーチルが「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」と言ったのは有名だが、トクヴィルを読んで、民主主義は大変な労力を必要とするものだと改めて思った。試行錯誤が大事とはいえ、戦争になってしまっては元も子もないので、民主主義といっても、外交はある程度貴族的な外務官僚に任せておくのも大事ではないかと思った。北朝鮮問題で国民感情が揺れていて、タカ派の安倍政権が発足した現在は、なおさらである。

 以下、引用は、トクヴィル著、松本礼二訳『アメリカのデモクラシー』第1巻(下)(岩波文庫)から。

第5章 アメリカの民主政治について

p53-54
 民衆の知識をある一定の水準以上に引き上げることは、いずれにせよ不可能である。人知を分かりやすくし、教育方法を改善し、学問を安価に学べるようにしたところで無駄である。時間をかけずに学問を修め、知性を磨くというわけには決していかない。
 つまり働かずに生きていける余裕がどれだけあるか、この点が民衆の知的進歩の超えがたい限界を成しているのである。
(中略)
 民衆はいつも瞬時に判断しなければならず、もっとも人目を引く対象に惹かれざるを得ない。このため、あらゆる種類の山師は民衆の気に入る秘訣を申し分なく心得ているものだが、民衆の真の友はたいていの場合それに失敗する。

p56
 民主政治の自然の本能が民衆をして卓越した人物を権力から排除せしめる一方、これに劣らず強力なある本能によって後者は自ら政治的経歴から離れていく。というのも、すぐれた人物にとってこの世界に留まりながらまったく自分を変えず、堕落せずに進むことは難しいからである。

p107-108
 すなわち、民主主義の政府が他の政府に比べて決定的に劣ると思われる点は、社会の対外的利害の処理である。民主政治にあっても、経験を積み、習俗が落ち着き、そして教育が広まれば、ほとんどどんな場合にも、良識と呼ばれる日常の実際的知識、生活上の小さな出来事を処理するあの知恵はいずれ形成されるものである。社会の平常の営みには良識で十分である。そして教育が行き渡った国民においては、民主的自由の内政への導入が産む利益は民主主義の政府の誤りがもたらすかもしれない害悪より大きい。だが国家間の関係はつねにそれでは済まない。
 外交政策には民主政治に固有の資質はほとんど何一つ必要ではなく、逆にそれに欠けている資質はほとんどすべて育てることを要求される。

第6章 アメリカ社会が民主政治から引き出す真の利益は何か

p127-128 
 自由である術を知ることほど素晴らしいことはないが、自由の修業ほどつらいこともまたない。専政はこの反対である。往々にしてそれは多年の苦しみを癒すものとして登場する。権利を支え、抑圧されたものを助け、秩序の礎をおく。人民は専政が産み出す一時の繁栄に眠り込み、目を覚ましたときには悲惨な境涯におかれている。自由は逆に、激動の中に生まれるのを常とし、国を分裂させて容易に根づかない。時を経て古くなったとき初めて、その恵みに気づくのである。

p134
 ある種の国では、法律が参政権を与えても、住民が嫌々ながらにしかこれを受け取らない。公共の問題に関わるのは時間の無駄のように思って、狭い利己主義に閉じこもり、垣根をめぐらした四囲の濠割りから一歩も出ない。
 これに対して、アメリカ人が万一、自分自身の仕事以外に没頭するものがないという事態におかれたならば、その瞬間から彼の生命の半ばは奪われたも同然だろう。

p134-135
 疑いもなく、人民による公共の問題の処理はしばしばきわめて拙劣である。だが公共の問題に関わることで、人民の思考範囲は間違いなく拡がり、精神は確実に日常の経験の外に出る。庶民の一員にすぎなくとも社会の統治を任されれば、自分にある種の誇りをいだく。権力の地位にあるとなると、学識に秀でた人々が彼に助力を申し出る。彼の支持を得ようと接触してくる者がひっきりなしにあり、さまざまなやり方で人をだましにかかる連中を相手にしているうちに、利口になるのである。

第7章 合衆国における多数の全能とその帰結について

p150
 そしてアメリカで私がもっとも嫌うのは、極端な自由の支配ではなく、暴政に抗する保証がほとんどない点である。
 合衆国で一人の人間、あるいは一党派が不正な扱いを受けたとき、誰に訴えればよいと読者はお考えか。世論にか。多数者は世論が形成するものである。立法部にか。立法部は多数者を代表し、これに盲従する。執行権はどうか。執行権は多数者が任命し、これに奉仕する受動的な道具にすぎぬ。警察はどうか。警察とは武装した多数者にほかならぬ。陪審員はどうか。陪審員は多数者が判決を下す権利を持ったものである。裁判官でさえ、いくつかの州では多数によって選挙で選ばれる。どれほど不正で非合理な目にあったとしても、だから我慢せざるをえないのである。

p153
 それに国王のもつ力は物理的な力にすぎず、臣民の行為を規制しても、その意志に働きかけることはできない。ところが多数者には物理的かつ精神的な力があり、これが国民の行為と同様、意志にも働きかけ、行動を妨げるだけでなく、行動の意欲を奪ってしまうのである。
 総じてアメリカほど、精神の独立と真の討論の自由がない国を私は知らない。

September 24, 2006

トクヴィルを手がかりに民主主義を考える(2)

 前回に続いて、トクヴィルを手がかりに民主主義を考えてみたい。
 今回は、『アメリカのデモクラシー』第1巻から、民主主義に関して、私なりに抜粋したものを紹介したい。
 1835年に書かれたものであるが、現代に通用する部分が多く、驚かされると同時に、興味深かった。引用した部分は、政治と宗教の関係、プラグマティズム、地方分権等についてである。

 以下、引用は、トクヴィル著、松本礼二訳『アメリカのデモクラシー』第1巻(上)(岩波文庫)から。

第2章 出発点について、またそれがイギリス系アメリカ人の将来に対してもつ重要性について

p55
 移住者、というよりいみじくも自ら巡礼者(ピルグリム)と称するこの人々は、信奉する原理の厳しさによって清教徒の名を得たイングランドの教派に属していた。ピューリタニズムは単なる宗教上の教義にとどまらず、いくつかの点で、もっとも絶対的な民主的共和的思想と渾然一体となっていた。彼らにとってこのうえなく危険な敵が生じたのはこのためである。母国の政府に迫害され、信奉する原理の厳格な実践を周囲の社会習慣に妨げられて、清教徒は独自の生き方が許され、自由に神を礼拝することのできる未開、未踏の地を求めたのである。

p69-70
 この文明(筆者注:イギリス系アメリカ人の文明)はまったく異なる二つの要素の産物であり、この出発点は絶えず念頭におかねばならない。この二つの要素は他の場所ではしばしば相争ったのに対し、アメリカでは両者をいわば混ぜ合わせ、見事に結びつけることに成功したのである。すなわち、私が言うのは宗教の精神と自由の精神のことである。
 ニュー・イングランドの建国者は教派の熱心な信者であったが、また熱烈な改革者でもあった。いくつかの宗教的信念によってこのうえなく堅く結ばれながら、彼らはあらゆる政治的偏見から自由であった。

p71
 宗教は市民的自由に人間の能力の高貴な実践を見出す。政治の世界は造物主が知性の努力に委ねた場所とみなすのである。宗教は自らの領分では自由にして強大である。だからこそそれは、政治の援けを借りず宗教自身の力で人の心を支配すればするほど、その力が確立されることを知っているのである。
 自由は宗教のなかに、手を携えて戦い、勝利をともにした盟友を見出し、自らを育てた揺り籠、自らの権利の神聖なる源とこれをみなす。宗教こそ習俗の保護者であり、習俗が法律を裏付け、自由それ自身の永続を保証すると考えるのである。

第3章 イギリス系アメリカ人の社会状態

p77
 だが、平等に向けて最後の一歩を踏み出させたのは相続法である。
 政治を論ずる古今の著作家がこれまで、人間社会の動向を左右する要因として、相続法にもっと大きな力を認めていないのは私の驚きである。確かに、この法律は民事に属する事柄だが、これこそどんな政治制度にも先行する位置におかれねばならない。

p85
 アメリカ人に金持ちは少ない。だから、ほとんどあらゆるアメリカ人は仕事をもたねばならない。ところで、およそ仕事には修練が必要である。このためアメリカ人が知性を広く養うことができるのは人生の最初の数年にすぎない。15歳になれば、仕事に就く。かくして彼らの教育は、われわれのそれが始まるころには終わってしまう。それ以後も教育が続く場合には、金になる特別の対象にしか向かわない。仕事で儲けるのと同じ態度で学問を研究し、しかもすぐに役に立つことが分かる応用しか学問に求めない。

第5章 連邦政府について語る前に個々の州の事情を研究する必要性

p108
 一般に人間の愛着は、力あるところにしか向かわないことをよく知らねばならない。愛国心は征服された国では永く続かない。ニュー・イングランドの住民がタウンに愛着を感じるのは、そこに生まれたからではなく、これを自らの属する自由で力ある団体とみなし、運営する労を払うに値すると考えるからである。
 ヨーロッパでは時として為政者自身が地域自治の精神の欠如を悔やむことがある。なぜなら、誰もが認めるように、自治の精神こそ秩序と公共の安寧の大きな要素だからである。だが、ヨーロッパの為政者はどうすれば自治の精神を生み出せるかを知らない。地域自治体に力をもたせ、独立を認めることによって、社会の力を分裂させ、国家を無政府状態にさらすのではないかと恐れるのである。ところが、地域自治体から力と独立を奪うならば、そこにはもはや被治者しか認められず、市民はなくなるだろう。

p126
 しかしアメリカの法体系はなによりも個人の利害に訴える。この点にこそ、合衆国の法制を研究する際に絶えず繰り返し見出される大原則がある。
 アメリカの立法者は人間の誠実性にはあまり信をおかない。だが人間は賢明であるとつねにみなす。だから法の執行にあたって、もっとも頼りにするのは人の個人的利害である。
 たしかに、行政の違法によって特定の個人が現実に明らかな損失をこうむったときには、個人の利害が公務員の訴追を促進することは分かる。
 けれども、社会全体に有用ではあっても、個人としては誰もその効用を現実に感じないような法の規定の場合には、進んで告発者となるものは一人もいないであろうと容易に予測される。そうすると、ある種の暗黙の合意によって法が執行することもあるかもしれない。

p153
 地方自治の制度はあらゆる国民の役に立つと思う。だが社会状態が民主的な国民ほど、この制度を本当に必要としている者はないように思われる。
 貴族政にあっては、自由のなかにもある種の秩序を保つことがいつでも期待できる。
 支配層にとって失う者が多いので、秩序は彼らにとって重大な関心の対象である。
 同様に、貴族政の中で人民はゆきすぎた専政から守られているといえる。というのも、専制君主に抵抗する備えのある組織された諸力がそこにはいつもあるからである。
 地方自治の制度を欠く民主制はこのような弊害に対していかなる防壁ももたない。
 小事において自由を用いる術を学んだことのない群衆に、どうして大事における自由を支えることができよう。
 一人一人が弱体で、しかもいかなる共通の利害による個人の結合もない国で、どうして暴政に抵抗できよう。
 放縦を嫌い、絶対権力を恐れる者は、地方の自由の着実な発展を同時に望むべきである。

June 05, 2006

『明治デモクラシー』−民主主義こそ日本の伝統

 GHQによる押しつけ憲法や押しつけ教育はやめて、憲法と教育基本法を改正して、日本の伝統にかえれと自民党はいう。自民党がいう日本の伝統とは愛国心や家族主義のことであろうが、民主主義はその中にないらしい。(もしあれば、共謀罪法案など決して国会に提出しないはずだ。)
 民主主義(デモクラシー)とは、戦後突然GHQから押しつけられたものでは決してなく、明治時代から民衆の中にあったことを、坂野潤治著『明治デモクラシー』(岩波新書)は教えてくれる。

 坂野氏は「明治デモクラシー」の構成要素として、「主権在民論」(中江兆民等が主張したルソー主義)「議院内閣制論」(福沢諭吉等が主張したイギリス流の議院内閣制)の二つを挙げて、「主権在民論」は最初の帝国議会で敗退し、「議院内閣制論」は日露戦争を境に敗退したとしている。(p176-177)
 その後、「官民調和体制」が成立する。「官民調和体制」とは、一方で軍部や官僚や貴族院を一つの保守勢力が掌握し、他方で衆議院の恒常的多数を一つの政党が握り、両者が各々の内部の利害を調整しながら、安定的に国政を運営していく体制である。これを極限まで進めれば、自民党が族議員を媒介にして官僚制と恒常的に協調する今日の日本の政治システムに行きつく。(p162)

 「議院内閣制論」は、イギリス流の政権交代可能な二大政党による政治システムのことを指しているから、現在の日本では達成できていない。日本で二大政党制が達成されたのは、戦前の1925年から32年まで、わずか7年間だけである(政友会と民政党)。
 「主権在民論」さえ、現在の日本では疑わしくなってきた。民主主義に必要不可欠である言論の自由が保障されなくなってきたからである。驚くべきことに、政府の方針に対して、反対の声を挙げただけで逮捕される例が増えてきている。
君が代不起立呼びかけ『罰金』のナゼ 妨害の印象ない(東京新聞)
サウンドデモなぜ摘発(東京新聞)

 逮捕の根拠とする法律やその運用は、民主主義国家のものではなく、開発独裁国家やファシズム国家に近いものといえよう。それらは日本国憲法に違反していると思うのだが、その憲法も改憲論議の中で、時代遅れの押しつけ憲法として、粗末に扱われつつある。

 民主主義こそ、自由民権運動以来の日本の伝統である。それに対して、自民党が愛国心や家族主義が日本の伝統であると主張する背景には、官民調和体制、さらには軍国主義への郷愁があるのだろう。自民党は、テロリストや犯罪国家(北朝鮮)と軍事大国(中国)の脅威を利用して、民主主義を実質的に否定しようとしている。共謀罪法案が、テロリストの脅威を利用して民主主義を否定しようとした典型的な例である。

 民主主義を守れ、表現の自由を守れと、こんな基本的なことを主張しないといけない世の中になってしまった。「板垣死すとも自由は死さず」という板垣退助の言葉は、決して古い言葉ではなく、現在でも通用するのである。

 自民党総裁選で安倍氏は、フランスのサルコジ内相のようにナショナリズムと排外主義を煽るだろうが、福田氏や民主党の小沢氏は民主主義という日本の伝統を訴えればよい。私は小沢氏を好きになれないが、小沢氏は自由主義者であるから、民主主義を否定することはないだろうと信じている。
 小泉首相は何と反動的な、ファシズム的な時代にしてしまったのだろう。

参考URL
共謀罪 民主案丸のみ、のち迷走のワケ(東京新聞)

関連バックナンバー
よみがえる治安維持法—共謀罪法案

January 28, 2006

『ブレア時代のイギリス』−イギリスの労働党と日本の民主党

 山口二郎著『ブレア時代のイギリス』(岩波新書)は、日本の民主党を考える際に参考になるイギリス労働党について書かれた本であるので、民主党を考える際にはぜひ読んでおきたい本といえる。
 
 ブレアは「大統領型首相」、「選ばれた独裁者(elected dictator)」と呼ばれる。そのように強い力を持つようになった理由として、山口氏は、第三章「民主主義の危機と好機」で次の要因が挙げている。

1 政権奪取にいたる労働党の歴史的経緯という要因。
  選挙に勝てるリーダーの下でまとまる必要があった。

2 小選挙区制と議院内閣制という制度的要因。
 小選挙区制で当選するためには、党の公認を得ることが不可欠である。議院内閣制で与党が政権を支えるためには、政府が提出する法案や予算の議会審議において与党はまとまってこれに賛成する必要があるため、党議拘束がかかることになる。

3 ブレアの人格という要因。
  ブレアはカリスマ性を持ち、弁舌能力も抜群である。

 1と3については、日本の民主党の場合、前原氏は若さの点でブレアと共通しているが、カリスマ性と弁舌能力という点で疑問符が残る。新自由主義を自明のものと考え、親米である点は共通だが、イギリス国民はその点を評価してブレアを支持しているわけではない。
 2については、先の衆院選で小泉首相が郵政民営化に反対する候補者を自民党の公認から外して、自民党内のリーダーシップを強化したことなど、日本でもイギリスのように議院内閣制本来の強力なリーダーシップを活用し始めていることは周知のとおりである。

 山口氏は、p69で「政治の人格化」を紹介している。
 その内容は、従来の政党や組織を政治行動の単位とする代表民主政治に対する不満が高まると、リーダーは国民に直接語りかけて、国民の支持を獲得しようとする。リーダー個人の魅力やイメージによって国民の支持を動員し、選挙での勝利、重要政策の推進を図る政治の手法の拡大を、「政治の人格化」と呼ぶ(この言葉は、イタリアの政治学者、マウロ・カリーゼが概念化した)。この傾向が進めば、国民が政策の中身をじっくり考えて判断するのではなく、特定の政治家の個性で政治の動きを正当化してしまう。イギリスは、政治の人格化が最も早く現れた事例であった。
 人格化された政治においては「直接性」が鍵となるが、ここで注意しておくべきことは、人格化された政治における直接性は、あくまで擬似的なものでしかないという点である。
 テレビという媒介(メディア)を通して、マーケティングの手法やスピンドクター(メディア政治における演出家、振付師)を駆使し、政治家が断片的な言葉「サウンドバイト」を吐いていくさまは、イギリスの首相・ブレア氏だけでなく、日本の首相・小泉氏の日常でもある。

 山口氏は、政治の人格化の問題点について、マックス・ウェーバーの「カリスマ的支配」の概念を用いながら、次のように指摘している。

p76
 だが、政治の人格化が進めば、権力の正当性根拠はカリスマに移る。そうなると、権力は属人的なもの、さらに言えば権力者の私物となりかねない。また、従来の法的責任追及や統制の仕組みも機能しなくなる。権力者が暴走したときに議会でこれを追及しても、人格化されたリーダーはこれをかわして、「リーダーとしての決断」という言い方で自らの行動を正当化しようとするであろう。国民による法的なコントロールや責任追及から権力者が自由になるということは、民主主義の空洞化、さらには独裁の誕生に他ならない。

p77
 しかし、問題はさらに残る。政治の人格化を引き起こす能力がよいリーダーの条件と考えるという発想が一般市民に広がると、人々は常に「他にリーダーとなれる人がいない」という物足りなさに苛まれることになる。今のリーダーに変わるべき人材がいないという雰囲気の中では、リーダーが政策上の失敗を犯しても、それについてけじめをつける、責任を追及するということが曖昧にされがちとなる。こうした現象は、ブレアのみならず、イタリアのベルルスコーニ、日本の小泉などに共通しているように思える。


 ブレアが無理をしてまで、ブッシュの戦争に荷担した理由として、三つの解釈がある。私には三つ目の解釈が興味深かったので、ここで紹介したい。
p106
 第三の解釈は、英米の軍事的一体化の中では、イギリスにとってアメリカの戦争に協力する以外の選択肢はありえないという説明である。これは、先に紹介した半澤朝彦氏が強調している。軍事的一体化という点では、日米の間でも進んではいるが、日本の場合、軍事力の行使が国としての選択肢の中には入っていない。日本は、表向きあくまで「人道支援」という名目で自衛隊を派遣している。それに対して、イギリスは、アメリカよりもはるかに小さい規模ではあるが、軍事力の行使によって国際社会における影響力を維持するという行動をこれまでもしばしば取ってきた。この外交路線を維持するならば、実際に使える軍を保持することが必要になる。だが、現状では、軍を実際に使えるようにするためには、情報、技術の両面でアメリカの援助が不可欠である。軍事力の行使という選択肢を維持するためには、米軍とともに行動するしかないというのが、第三の解釈である。アメリカに逆らうと、以後、軍事力の行使はできなるという指摘は、現実を言い当てているように思える。

 日本がアメリカとの軍事的一体化を進めていくと、イギリスのように今後アメリカの意に反する行動がとれなくなる可能性が高い。日本単独の暴走、要は戦前の日本軍国主義の復活は防げるかもしれないが、アメリカがブッシュ政権のように軍事的暴走を始めた場合、日本も否応なくその渦の中に巻き込まれることを意味する。日本のタカ派はそこまで考えているのだろうか。それとも日本独自の行動は可能と考えて、日米軍事的一体化を進めているのか。
 どちらにしろ、日米軍事的一体化の行き着く先には、悪夢のシナリオが待っていそうだ。

 この本には、他にも「第三の道」の三つの評価や、ブレア政権で地方分権が強力に推進されたことなど、日本も参考になることがたくさん紹介されている。
 イギリスのブレア政権が問題を抱えていて、「第三の道」が新自由主義を覆い隠す偽装のスローガンだとしても、日本の小泉政権に比べればはるかにまともな政治をしていることもわかる。
 ブレア首相は大量破壊兵器で嘘をついて大問題になったが、小泉首相は初めから論理的でない政治を行っているので、問題が発生するわけがないのである。

p190
 しかし、小泉とブレアには大きな違いもある。ブレアが演説を大切にし、論理によって人を説得しようとしたのに対し、小泉は論理を無視し、単純化と問題のすり替えによって大衆の支持を集めた点である。イラク戦争のとき、ブレアは戦争の正当性を証明するために、大量破壊兵器という壮大な虚構を作り出し、その結果自らを窮地に追い込んだ。これに対して、小泉は、国会答弁でおよそ論理というものを軽蔑した言動を繰り返した。日本以外でこのような政治家の存在が許されるとは思えない。

 小泉首相の「靖国参拝は心の問題」「靖国参拝を批判しているのは中国と韓国だけ」といった発言に至っては、論理破綻もいいところだが、それを指摘しないマスコミも、遂に大政翼賛会入りしてしまったかと思うほどヘタレであり、ぶざまな腰砕けである。
 私は先の衆院選後、日本は新しいファシズムの時代に入ったのではないかと思っているのだが、このようなマスコミ報道にもファシズムの影が現れているかもしれない。

 日本の自民党は今後、イギリス保守党の「恐怖の政治」(p151-153)に近い手法をとるのだろう。北朝鮮や中国の軍事力、国内の犯罪等の身体的な恐怖感をあおって、軍事力増強と警察力強化によって、自民党の支持につなげるという手法である。

参考ブログ等
靖国問題:小泉総理のいい加減な憲法理解、再び(私的スクラップ帳)
極東の対話欠如--ルモンド記事(ね式(世界の読み方)ブログ)
06年1月:驕る小泉は久しからず?(yamaguchijiro.com)
参院代表質問 靖国参拝で中韓の対応に改めて疑念 首相(毎日新聞・ヤフー)
東南アジアでも反発と懸念 小泉首相の靖国参拝(共同通信・ヤフー)
麻生外相「天皇の靖国参拝実現を」(中国新聞)
カリスマ(wikipedia)

January 15, 2006

『昭和史の決定的瞬間』−社会大衆党と民主党

 坂野潤治著『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)は、今までの常識を覆して、日中戦争直前まで民主化が進展していたことを明らかにしている。先日、NHKで戦前のカラー映像の番組を見ていたら、現在の映像を見ているような不思議な気分にとらわれた。戦争前には日本の都市に高いビルが建っていた。発展した国で、平和に人々が暮らしている。今の時代とあまり変わらないのである。この本を読んでいるときも同じ気分にとらわれた。それだけ、映像や記述に対してリアリティーがあるし、戦争が近くに感じられないという点で共通点があると思った。

 陸軍長老の宇垣を総理・総裁に迎えることによって、戦争とファシズムを阻止しようとする構想は、民政党と政友会の二大政党の一部によって満州事変以降、一貫して抱かれていたものだった。1937年1月、宇垣内閣を流産させたのは石原莞爾を中心とする陸軍であったが、天皇側近が2・26事件で萎縮していたことも大きな要因であった。また、半年後に日中戦争が始まることになるわけだが、意外なことに当時、天皇側近は戦争の切迫度を感じていなかったようだ。

 この参謀本部の対ソ戦準備は、飛行機や戦車の製造のための重工業化を含む大がかりなもので、戦争の規模は対中戦争に数倍するものであったが、他方で「五カ年計画」という名称が示すように、今すぐ戦争を始めようというものではなかった。他方、満州の関東軍がめざす対中戦争は、満州事変以来少しずつ進められてきた中国北部への侵略をめざすもので、明日にも起こるかもしれないものであった反面、単なる局地戦争で終わるかもしれないものであった。
 こうして、歴史的に見れば、半年後の日中戦争を回避できたかもしれない宇垣一成の組閣に際して、天皇側近や元老西園寺公望には、この内閣が戦争回避のための最後の橋頭堡だというほどの認識はなかった。気軽に組閣の命令を下し、気軽にその失敗を受け容れたのである。(p99-100)

 1937年4月30日の総選挙で、社会大衆党が36名を当選させて躍進した。社会大衆党は合法的社会主義政党で、社会民主主義的な政策を打ち出していた。自由主義者の河合栄治郎は「日本政治史上において特筆すべき重大な事実」として、西欧と同じように日本にも「社会党」が登場したことを歓迎した。
 しかし、「広義国防論」という軍部を支持し、ファシズムを容認するような政策も打ち出すなど、タカ派的要素を抱えていた。中下層民はそのことを忘れて投票した人が多かったようだが、知識人はタカ派的要素を懸念し、その払拭を望んでいた。
 次の談話から、社会大衆党がこの後大政翼賛会に入ったことが頷ける。

総選挙後の1937年5月8日、雑誌『中央公論』が主催する評論家の座談会での、社会大衆党の三輪寿壮の談話

・・・私ども、馬場(恒吾)さんや清沢(洌)さんのご意見をきいていると、とにかく旧い。・・・やはり、政党政治というものに非常に憧れを持っておられる。・・・それは私はもうだめだと思うんですね。・・・私はその点からいえば、政民両党一緒になって保守党なら保守党という立場・・・をとってくれるのなら、それは相手にするにしても何にしても非常にいいんですが、ただ旧い変な殻を持っていて、それで二大政党でござるというような立場でいる。それが議会政治はみんな俺の方で背負っているという格好でやられる。どうもそれにくっついていくというわけにはいかないんですよ。・・・(p184)

 1937年の総選挙は意外にも民主的な選挙だったといえる。社会大衆党にファシズム的要素があったものの、それを支持した庶民にファシズムを支持する気持ちがなかったどころか、軍部に反対票を投じるつもりで、社会大衆党に投票した人が多かったようだ。(p213参照)

1937年8月20日発売の『改造』9月号に掲載されたマルクス主義哲学者の戸坂潤の論文

「日本におけるいわゆる自由主義なるものは、事実上民衆の平均常識なのであるから、つまりこの矛盾(厖大な軍事予算と国民生活安定予算との矛盾)への注目は、国民の時代常識であったわけだ。これが現下の日本国民の常識であるという歴然たる事実を認めまいとするものは、まず何らかの意味でのファッシストであると断じて誤らない。・・・自由主義ないしデモクラシーが今日の日本国民の政治常識であるという事実を、まげることは出来ぬ。選挙演説などの有様を見ると、この事実は疑う余地なく実証される。」(p193)

 これまで戦後の日本人が信じてきた常識に反して、戦前日本の民主主義の一つの頂点で日中戦争が勃発したのだった。この後、戸坂は日中戦争が民主主義を滅ぼしたと結論している。

 1937年の社会大衆党が、現在の民主党にだぶってみえてしまった。社民主義とファシズム的要素が混在している戦前の社会大衆党は、社民主義の政治家が一部にいて、タカ派の政治家が多くいる今の民主党に似ていないだろうか。
 有権者は民主党に対して、自民党よりもリベラルな政策を期待している人が多いと思うが、実際の民主党は自民党よりもタカ派的要素が強く、新自由主義的であることも、社会大衆党と当時の有権者のギャップに似ていないだろうか。

 社会大衆党は戦争が起こると、大政翼賛会に参加して、戦争に協力していった。もし、この先戦争が起こったら、民主党も戦争に協力していくのだろうか。そのようなことを自然に考えさせられる本だった。

December 23, 2005

『拒否できない日本』−アメリカ合衆国のための日本政府

 マンションの耐震強度偽装事件で、その物件の多くの建築確認を民間のイーホームズが行っていたことで、建築確認の検査機関を民間に開放した規制緩和に対して、マスコミ等で様々な意見が出た。しかし、それは一連の規制緩和の一部でしかなく、1998年に建築基準法がアメリカの意向によって大改正されたことはあまり知られていない。
 建築基準法の改正を検討した建築審議会の答申書によると、建築基準法の基本的ルールを「仕様規定」から「性能規定」に改め、それを「必要最低限」のレベルにとどめ、しかも「海外の基準や国際規格」と整合させる必要があると提言していた。このことから、阪神大震災とは無関係の改正だったことがよくわかる。
 これらのことは、関岡英之著『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書 2004年)に書いてあるのだが、今回は、この本の「2 対日圧力の不可解なメカニズム」(p41−85)を時系列順に直したうえで見ていくことにする。

 1970年代、アメリカが対日貿易赤字に陥り、日本と通商交渉したが、なかなか解決できなかった。
 転機となったのは、共和党のレーガン政権に入ってからで、1983年、日米円ドル委員会を設けて、円安は日本の金融市場が閉鎖的なことが原因だとして、円の国際化と金融資本市場の開放を強く要求した。レーガン政権は軍事費増と減税によって、双子の赤字に苦しんだことから、経済に対する自由放任主義から積極的に介入する方向に方針を転換したのである。
 1984年、日米円ドル委員会報告書が出て、日本の銀行の国際金融業務を規制緩和することになった。
 1985年、プラザ合意で人為的にドル安にするとともに、日本を標的にした新通商政策アクション・プランを発表する。
 1988年、新通商政策アクション・プランに沿って、「包括通商・競争力法」(その中の一方的報復条項がのちにスーパー301条と呼ばれるようになる)を制定する。
 1989年、アルシュ・サミットでブッシュ大統領が日米構造協議を提案し、宇野首相が受け入れる。この年、アメリカが日本に対して初めて、スーパー301条を発動する。
 日米構造協議は、日本政府関係者のひとりが「まさしくこれはアメリカの第二の占領政策だ・・・これが漏れればたいへんなことになる」とつぶやいたエピソードがあるように、主権国家に対する内政干渉だったが、日本国内には違う反応もあった。

p64
 しかしこの国の不幸は、ひとたびアメリカから圧力がかかると、反発が起きる一方で、「いざ鎌倉」ならぬ「いざアメリカ」あるいは「外圧サマサマ」という反応が同時に現れることだ。このときも「アメリカの指摘は族議員・監督官庁・業界団体が三位一体となった、不透明で腐敗した日本の構造問題を鋭くえぐり出して日本の消費者や国民の前に明らかにしてくれた」と歓迎の辞を述べる声が出はじめた。特に、消費者団体や規制緩和を推進しようとするグループは、アメリカこそ待ち焦がれていた健全野党だと賛美した。

p65
 「規制緩和」であれ、「民主化」であれ、よその国の政府がわたしたちの国のことに口をはさんでくる場合には、その真意をよくよく推し量ってみる用心深さが必要ではないだろうか。
 日米構造協議のときに、アメリカ政府が膨大な人員とエネルギーを費やして日本の商習慣や社会構造を調べ上げ、日本の政府に対して改革を繰り返し要求したのは、ほんとうに日本の消費者の利益を改善することに関心があったからだろうか?アメリカの選挙民や政治献金のスポンサー企業は、アメリカ政府が日本の消費者のために熱心に働くなどということを喜ぶほどおめでたいのだろうか?


 日本に対する内政干渉は、日米構造協議を経て、年次改革要望書という形で制度化されることになる。
 1993年、宮沢・クリントン会談で両国が「年次改革要望書」を毎年提出することで合意する。
 1997年、橋本・クリントン会談で、「年次改革要望書」が「強化されたイニシアティブ」に引き継ぐことに合意する。
 2001年、小泉・ブッシュ会談で「強化されたイニシアティブ」が「改革イニシアティブ」に引き継ぐことに合意する。

 アメリカの要求は、商法大改正、公正取引委員会の規制強化、司法改革など多岐にわたっているが、最近まで5つの優先分野が指定されていた。通信、金融、医療機器・医薬品、エネルギー、住宅の5つであるが、建築基準法が大改正されたことなどによって、2001年以降、住宅分野が優先分野から姿を消した。住宅分野でアメリカが要求していたのは、木材製品の輸入拡大だった。

 アメリカ、特に共和党政権についていくことが日本の国益になるという人が多いが、関岡氏は次のように指摘している。

p81
 むしろ民主党(主としてクリントン政権のイメージだが)が、けたたましく叫びながら手当たり次第に肉や皮を斬りつけてくるとすれば、共和党は静かに微笑みながら、後ろから背骨の急所を狙って刺そうとする凄味を持っているような気がする。しかしそのことで民主党や共和党に文句を言ってみてもはじまらない。アメリカの政党である以上、アメリカの選挙民の利益を最優先するのは当たり前だからだ。同盟国なんだから日本の立場も考えてくれているはずだなどと幻想を抱く方がどうかしているのである。老獪なアングロ・サクソンを前にして、彼らの善意を期待するなど危険なほどナイーブなのではないか。

 私は冷戦終了後も日本がアメリカに対して同じ行動をとり続けたことが事態を悪化させたのではないかと思った。冷戦時はアメリカについていくことが国益だったと仮定しても、冷戦後はアメリカと距離を置くことが必要だったのではないか。日米ともに、冷戦後は国益が変化するわけで、湾岸戦争、国際貢献、最近では北朝鮮と、アメリカについていく理由が次から次に浮上してくるが、それらはアメリカが、冷戦終了という根本的な変化を隠すためのカモフラージュとして使っていたのではないか。

 中韓などアジア諸国やヨーロッパ諸国との関係を強化する全方位外交は、平和主義という観点からだけでなく、アメリカとの間で有利な立場で交渉を行ううえで必要だと思うのだが、小泉首相の外交は中韓に対しては強硬に主張しても、アメリカに対しては交渉をするというよりも、アメリカの主張をそのままのんでいるだけではないかと思えてくる。

 外資系保険会社のコマーシャルの氾濫を見るたびに、アメリカ合衆国に対して反感が募り、私はにわかナショナリストになるとともに、日本のことを自分で決めようとしないコイズミとタケナカの顔が浮かんでくるのである。

参考URL
自著を語る 関岡英之(文藝春秋)
日本政府に規制改革要望書を提出(在日米国大使館) 

June 06, 2005

『働くということ』(2)

 最終章でロナルド・ドーアは、ILOの用語でいう「中核的労働基準」の問題と、グローバル経済化の中でさまざまな社会は異なった価値体系を維持できるかについて取り上げている。ここでは、後者について、4つに分類して紹介する。

1 同質的な市場個人主義的な世界を約束するようにみえる二つのメカニズム

(1) アメリカの文化的覇権

 グローバル化した世界の支配階級「コスモクラット」を、あるジャーナリストは次のように表現する。

趣味においてはコスモポリタンで、意見においてはアングロ・アメリカン。この人たちはビジネス・スクールの卒業生同士の結婚式に世界中から集まる客、飛行機のビジネスクラスやファーストクラス席を満載にする連中だ。世界的大企業の幹部の大半をなしている。支配階級としては、歴史が始まって以来もっともメリトクラティックな(能力で選別された)支配階級。幅広い社会層の出身であり、不安な案件を多く抱えているにしろ、支配階級であるのは間違いない。(p172)

 このことは二つの点で、一国内の不平等の容認の問題に影響を与える。

一 国への帰属感の一般的な弱まり
二 自分の母国語が何であれ、英語を話して過ごすことが多いこと

 アメリカの文化的覇権はグローバル・エリートの増加という点で深刻な意味合いを持つ。
 日本企業の経営者たちの経営理念が、株主価値やネオリベラルな思想に共鳴する形で動いていることの一つの重要な要因が、ビジネス・スクールにある。
 フランス・イタリア・日本・中国の大学の経済学部で教えている経済学者には、博士号をアメリカの大学院経済学部で得た者が増えている。日本の竹中経済財政担当大臣に代表される。

(2) 市場主義に従わない者に資本の枯渇を約束する金融市場の力

 IMFと世界銀行が融資に付ける条件(コンディショナリティ)はアメリカ財務省の見解(ワシントン・コンセンサス)に従って草案され押しつけられる。
 
2 二つのメカニズムに対する反論

(1)ホーム・バイアス・パラドックス(資本が生まれ故郷にとどまる傾向)
(2)金融市場のグローバリゼーションは逆戻り不可能ではないこと(例えば、中国やマレーシアの金融保護主義で世界貿易システムが必ずしも損なわれることはないこと)
(3)それぞれの国はどのような経済制度を目指すか、まだ広い範囲で独立した選択をすることができるということ
(4)異なるタイプの資本主義の制度間に存在する差異はまだかなり大きく、どのタイプの資本主義が優れているかについては、いろいろな価値判断が可能だということ

3 労使関係の3つの対照的なシステム

(1)アングロ・サクソン型
本物の敵対関係。ストックオプションや利益シェアリング制度を通じて、従業員を小株主にさせる。
(2)大陸ヨーロッパ型
ナイフは鞘に収まっている。制度的ルールの制定が労使という「社会的パートナー」間の交渉・妥協によって行われる。
(3)日本型
ナイフは家の中の鍵をかけた戸棚にしまわれている。労使の分配のバランスは、経営者階級の価値観と責任意識の継続に依存している。

4 ロナルド・ドーアの結論

(1)資本主義形態の多様性に対して「差異万歳」。
(2)アメリカの文化的覇権の影響力は、イラク戦争によって、かなり低下している。
(3)アメリカの世界経済支配は、いずれ中国にその座を譲らざるを得なくなるかもしれない。そのとき、中国は何型資本主義になるのか、どのような文化的覇権をふるうのか。奇妙で折衷的なシノ・アングロ文化か?


 現在、資本主義形態の多様性に対して影響力を持っているのはドイツとフランスだろう。ドイツのシュレーダー社民党政権はイギリスのブレア労働党の第三の道を模倣し、フランスのシラク保守政権はアングロ・サクソン型に接近して、どちらもうまくいかず、失脚も近いようだ。
 EUとしては、EU憲法がフランスとオランダの国民投票で否決され、グローバル経済化に対するノンともいわれているが、問題はアングロ・サクソン型に対する代替案が出ていないことだ。EU憲法については次回、別の記事として取り上げたい。
 中国は、政府の研究機関が社民主義を研究しているという話もあり、将来福祉重視の資本主義モデルをつくる可能性もあるが、中国の時間感覚からして遠い将来になりそうだし、それまでに現在の政治経済制度が行き詰まる可能性もあり、将来を予測するのは難しいと思われる。
 それよりも、私の関心は中国の環境問題で、このまま中国の経済成長が続くと、地球環境に致命的な悪影響を及ぼすのではないか。まさに、持続可能な経済成長は果たして可能なのかのモデルケースといえるのだが、何か危険な実験のように思えなくもない。                                                                        

June 05, 2005

『働くということ』(1)

 ロナルド・ドーア『働くということ-グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書)(リンク先は読売新聞の書評)は、経済だけでなく、日本社会全体の現状をとても鮮やかに分析していて、目から鱗が落ちる思いがした。ただ、あまりに鮮やかに一刀両断しているのに少し懐疑的になったのと、あまりに悲観的すぎるのではないかと思った。私としては、もう少し、政治の力というものに対して信じたい気持ちがある。
 ここでは、第4章で書かれている、不平等の拡大を当たり前とする「公正」概念の変化について紹介する。

フランス革命から40年後、アーノルド(筆者注:イギリスのパブリック・スクール、ラグビー校の校長。1795-1842)は、自由が至高の価値だという思想は、「政治的英知の名において、人間の利己主義に迎合したもっとも欺瞞に満ちた主張の一つ」だと喝破しました。そして、その主張をさらに詳しく説明します。

「市民社会は、その個々の構成員が、隣人に対して、直接に暴力や不正を働かない限り、個人が自分の利益を自分で守れるよう、干渉せず放置すべきだ」とする。

つづいて、こう述べます。

人々は先天的に与えられた力において平等でないこと、後天的に取得した長所においても平等でないことを十分に知りながら、さらにまた、あらゆる種類の権力は自己を増殖させる傾向があることを十分知りながら、われわれはそれを傍観し、このもっとも不平等な競争を平気で傍観するのである。われわれは忘れているのか?社会という名称そのものに、それが単に競争ではなく、強者の力を抑制し、弱者の寄る辺なさを保護することによって、すべての者の公益を推進するという意味が含まれていることを。(p128-129)


 このような思想のもとにうまれた社会保障制度は、1970年代まで先進国で支持されたが、1980年代以降は新自由主義的な「市場個人主義」に取って代わった。市場個人主義による不平等の拡大は、上の方の人が中位とのギャップを大きくしたことからくる現象であるが、この変化の理由として、アメリカのポール・クルーグマンは4つの因果関係を挙げる。

1 低賃金の発展途上国参入による競争の激化
2 技術変化によって引き起こされる技能割増金の増大
3 スーパースター現象(少数の勝者がすべてを手にする)
4 社会規範の変化

 社会規範の変化の要因としては、

1 株主運動や株主価値観の普及
2 経営者の利害を株主の利害と一致させるストックオプション制度の普及
3 自分の給与を決める報酬委員会のメンバーを、社長自身が任命する仕組みが多くなったこと
4 報酬調査専門のコンサルタントが、各社の経営トップの報酬に関する情報を広く定期的に集め、世間相場の形成メカニズムが発達したこと

 しかし重要なのは、社長たちの巨額な報酬が一例である貧富の差は、どこまで開いていいのか、同一社会内に莫大な富と悲惨な貧困の共存は、どの程度まで許容されるのかについての一般的な規範の変化です。ここで「規範」と訳されているガルブレイスのもとの言葉は「code」です。儒教的な訳語でいえば、経営者の「経営道」に当たるでしょう。自己規制はその重要な一部分ですが、それは給与の格差を圧縮しただけでなく、以上の引用でもガルブレイスが指摘しているように、正直さとも関連していたのです。「合法的に許される貪欲」に対する抑制がはずれると、ごく当たり前の正直さも失われていくということが、最近のエンロン、ワールドコム、タイコ等の不祥事で証明されました。(p139-140)
 社会規範の変化を促した社会構造の地殻変動の要因としては、

1 (イギリスにみられるような)戦時中の連帯の意識が弱まっていること
2 豊かな社会になったこと
3 性の革命と女性運動、ジェンダー革命を通じての影響
4 階級構造の変化
5 人種的多様性
6 人口の高齢化

 しかし、4の階級構造の変化は、2世代、3世代たつにつれて、活発な社会移動は次第に低下していく。

 経済的な階級間の差異が文化的な差異にも発展していきます。以上引用した刈谷剛彦の調査で、家庭の文化階層の指標として使ったのは、たとえば、「家の人はテレビのニュース番組を見るか」「家の人に博物館や美術館につれていってもらったことがあるか」「小さい時、家の人に絵本を読んでもらったかどうか」などに対する子どもの返事でした。そういう身近な次元で社会階層性が文化階層にも発展していけば、刈谷がいう「インセンティブ・ディヴァイド」をきたすに違いありません。それは低階層の学力取得意欲も学習効果も低下させ、階層の世代間再生産を促進するばかりでなく、階層間の相互的違和感を大きくして、社会連帯の意識の希薄化をどうしても進めます。(p148)
 不平等の拡大を当たり前とする社会規範が逆転する可能性としては、

1 この社会規範の変化はまだ決定的ではない
2 「あなたの不安、私の平和」効果

 「あなたの不安、私の平和」効果というのは、貧困層の悲惨は富裕層の生活の質を損なう可能性があるというもので、二人のイギリスのジャーナリストがこのシナリオを鮮やかに描写している。

 50年前、ほとんどの中流給与生活者が家に警報装置を備える状態を想像したら、恐怖症と診断されただろう。(これから20年たったら)経済的余裕のある人が、ボディーガードを雇ったり、レーザーワイヤーを施したり、警備犬を飼ったりする一方、その他の人たちは闇経済、ピストルと麻薬が通貨となっている闇経済で何とか生存しているのである。人々は合法的にせよ非合法にせよ、拳銃を携行することになるだろう。責任感のある親は子どもを一人では決して外に出させないだろう。(p155-156)

 児童虐待の増加と虐待の連鎖は、階級間の社会移動が低下しているあらわれかもしれない。
 セコムの増加が犯罪の増加のためだとしても、犯罪の増加は中国人の増加だけでなく、貧富の格差が拡大している結果ともいえるのではないか。
 社会保障にセコムのような防犯効果があることに日本の富裕層が気づき、それを認めるときは来るのだろうか?
(続く)
   

March 13, 2005

リップマンの『世論』(2)

 第一次世界大戦中の1917年11月、ロシア革命で成立したボルシェヴィキ政権は「平和に関する布告」で帝政ロシアの秘密外交文書を公表した。ボルシェヴィキ政権は、連合国に無併合・無賠償・民族自決の諸原則にもとづく講和を呼びかけたが拒否されたため、1918年3月、ブレスト=リトヴスクで単独講和条約を締結する。

p33(下巻)
 大方の疑問は、アルザス=ロレーヌやダルマチアはイギリス人の生命にして何千人分の値打ちがあるのか、ポーランドやメソポタミアはフランス人の生命にして何千人分の値打ちがあるのか、というかたちで問われた。アメリカでもこのような疑問はまったく出ていないわけではなかった。連合国側による戦争の大目的全体が、ブレスト=リトヴスク会議への参加を拒否したことによって守勢にまわってしまっていた。

 1918年1月、アメリカのウィルソン大統領は、ボルシェヴィキ政権の講和の呼びかけに対抗して、秘密外交の廃止・海洋の自由・軍備縮小・民族自決・国際連盟の設立などを含む十四ヵ条の平和原則を発表する。
p34
 これ(筆者注:十四ヵ条のこと)が箇条書きされたのは正確を期すための工作であるとともに、ひと目で事務的な文書であるという印象を生み出す方策であった。「戦争の目的」ではなく「講和条件」を声明するという発想は、ブレスト=リトヴスク会議にまさしく該当するような代替をはっきりと打ち出す必要から生じたものであった。これらの条件は、ロシアとドイツの会議という大舞台に代わる全世界規模の公的討論というはるかに壮大なスペクタクルを提供することによって、一般の注意を奪還しようと図ったのである。

p39
 「十四ヵ条」が外見上は満場一致で熱心に迎えられたにせよ、それが一つの基本方針に対する満場の同意をあらわしていると思うのは誤りというものだろう。誰もがこの「十四ヵ条」の中に自分の気に入るものを何か見つけて、この面を、あるいはあの細部を、と力説した。しかし、思い切って議論に踏み切るものはなかった。文明世界の底に横たわる、さまざまの葛藤でいっぱいにふくらんだウィルソンの言い回しが受け入れられた。そうした語句は、対立するさまざまな観念をあらわしていたのだが、それが呼び起こした感情は共通であった。そのかぎりにおいて、西側の諸国がさらに十か月にわたって耐えなければならなかった絶望的な戦いの日々、人びとを鼓舞する役割を果たしたのだった。

 1919年1月、パリ講和会議が開かれたが、十四ヵ条はイギリスとフランスの抵抗を受けて、国際連盟の設立以外はほとんど受け入れられなかった。1919年6月に調印されたヴェルサイユ条約は、理想よりも戦勝国の国益が優先され、民族自決の原則も東ヨーロッパにしか適用されなかった。
 十四ヵ条を執筆したリップマンの悔しさが次の文からにじみ出ているように思う。
p41
 ヨーロッパ側の起草者たちは、「人類の権利」から「フランスの権利」、「イギリスの権利」、「イタリアの権利」へと、象徴としての言葉の階層を下ってきた。彼らは一切の象徴を用いることを断念したのではなかった。彼らが切り捨てたのは、自分たちの選挙人たちの想像力の中に戦後永続的に根付くはずのないような象徴のみである。彼らは象徴的手法を用いることによってフランスの統一を守ったが、ヨーロッパの統一を守るために危ない橋を渡る気はなかった。フランスという象徴にはすでに深い馴染みがあったが、ヨーロッパという象徴の歴史は浅かった。