July 2016
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« ハンナ・アーレントによる労働観の再考(2) | Main | 『ブレア時代のイギリス』−イギリスの労働党と日本の民主党 »

January 15, 2006

『昭和史の決定的瞬間』−社会大衆党と民主党

 坂野潤治著『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)は、今までの常識を覆して、日中戦争直前まで民主化が進展していたことを明らかにしている。先日、NHKで戦前のカラー映像の番組を見ていたら、現在の映像を見ているような不思議な気分にとらわれた。戦争前には日本の都市に高いビルが建っていた。発展した国で、平和に人々が暮らしている。今の時代とあまり変わらないのである。この本を読んでいるときも同じ気分にとらわれた。それだけ、映像や記述に対してリアリティーがあるし、戦争が近くに感じられないという点で共通点があると思った。

 陸軍長老の宇垣を総理・総裁に迎えることによって、戦争とファシズムを阻止しようとする構想は、民政党と政友会の二大政党の一部によって満州事変以降、一貫して抱かれていたものだった。1937年1月、宇垣内閣を流産させたのは石原莞爾を中心とする陸軍であったが、天皇側近が2・26事件で萎縮していたことも大きな要因であった。また、半年後に日中戦争が始まることになるわけだが、意外なことに当時、天皇側近は戦争の切迫度を感じていなかったようだ。

 この参謀本部の対ソ戦準備は、飛行機や戦車の製造のための重工業化を含む大がかりなもので、戦争の規模は対中戦争に数倍するものであったが、他方で「五カ年計画」という名称が示すように、今すぐ戦争を始めようというものではなかった。他方、満州の関東軍がめざす対中戦争は、満州事変以来少しずつ進められてきた中国北部への侵略をめざすもので、明日にも起こるかもしれないものであった反面、単なる局地戦争で終わるかもしれないものであった。
 こうして、歴史的に見れば、半年後の日中戦争を回避できたかもしれない宇垣一成の組閣に際して、天皇側近や元老西園寺公望には、この内閣が戦争回避のための最後の橋頭堡だというほどの認識はなかった。気軽に組閣の命令を下し、気軽にその失敗を受け容れたのである。(p99-100)

 1937年4月30日の総選挙で、社会大衆党が36名を当選させて躍進した。社会大衆党は合法的社会主義政党で、社会民主主義的な政策を打ち出していた。自由主義者の河合栄治郎は「日本政治史上において特筆すべき重大な事実」として、西欧と同じように日本にも「社会党」が登場したことを歓迎した。
 しかし、「広義国防論」という軍部を支持し、ファシズムを容認するような政策も打ち出すなど、タカ派的要素を抱えていた。中下層民はそのことを忘れて投票した人が多かったようだが、知識人はタカ派的要素を懸念し、その払拭を望んでいた。
 次の談話から、社会大衆党がこの後大政翼賛会に入ったことが頷ける。

総選挙後の1937年5月8日、雑誌『中央公論』が主催する評論家の座談会での、社会大衆党の三輪寿壮の談話

・・・私ども、馬場(恒吾)さんや清沢(洌)さんのご意見をきいていると、とにかく旧い。・・・やはり、政党政治というものに非常に憧れを持っておられる。・・・それは私はもうだめだと思うんですね。・・・私はその点からいえば、政民両党一緒になって保守党なら保守党という立場・・・をとってくれるのなら、それは相手にするにしても何にしても非常にいいんですが、ただ旧い変な殻を持っていて、それで二大政党でござるというような立場でいる。それが議会政治はみんな俺の方で背負っているという格好でやられる。どうもそれにくっついていくというわけにはいかないんですよ。・・・(p184)

 1937年の総選挙は意外にも民主的な選挙だったといえる。社会大衆党にファシズム的要素があったものの、それを支持した庶民にファシズムを支持する気持ちがなかったどころか、軍部に反対票を投じるつもりで、社会大衆党に投票した人が多かったようだ。(p213参照)

1937年8月20日発売の『改造』9月号に掲載されたマルクス主義哲学者の戸坂潤の論文

「日本におけるいわゆる自由主義なるものは、事実上民衆の平均常識なのであるから、つまりこの矛盾(厖大な軍事予算と国民生活安定予算との矛盾)への注目は、国民の時代常識であったわけだ。これが現下の日本国民の常識であるという歴然たる事実を認めまいとするものは、まず何らかの意味でのファッシストであると断じて誤らない。・・・自由主義ないしデモクラシーが今日の日本国民の政治常識であるという事実を、まげることは出来ぬ。選挙演説などの有様を見ると、この事実は疑う余地なく実証される。」(p193)

 これまで戦後の日本人が信じてきた常識に反して、戦前日本の民主主義の一つの頂点で日中戦争が勃発したのだった。この後、戸坂は日中戦争が民主主義を滅ぼしたと結論している。

 1937年の社会大衆党が、現在の民主党にだぶってみえてしまった。社民主義とファシズム的要素が混在している戦前の社会大衆党は、社民主義の政治家が一部にいて、タカ派の政治家が多くいる今の民主党に似ていないだろうか。
 有権者は民主党に対して、自民党よりもリベラルな政策を期待している人が多いと思うが、実際の民主党は自民党よりもタカ派的要素が強く、新自由主義的であることも、社会大衆党と当時の有権者のギャップに似ていないだろうか。

 社会大衆党は戦争が起こると、大政翼賛会に参加して、戦争に協力していった。もし、この先戦争が起こったら、民主党も戦争に協力していくのだろうか。そのようなことを自然に考えさせられる本だった。

« ハンナ・アーレントによる労働観の再考(2) | Main | 『ブレア時代のイギリス』−イギリスの労働党と日本の民主党 »

Comments

Post a comment

Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.

(Not displayed with comment.)

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/31910/8179708

Listed below are links to weblogs that reference 『昭和史の決定的瞬間』−社会大衆党と民主党:

» 証人喚問を前にライブドアとかいろいろあった1月16日週明けの日記 [踊る新聞屋-。]
 ▽耐震偽造。きっこのブログが予告通り<証人喚問前日深夜にテポドン発射!?~きっこと宮崎被告と眠巣党>テポドンを発射するも<とっとこハムスケ絶体絶命!>、東京地 [Read More]

« ハンナ・アーレントによる労働観の再考(2) | Main | 『ブレア時代のイギリス』−イギリスの労働党と日本の民主党 »