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January 29, 2006

靖国問題と憲法9条

 前回の記事「『ブレア時代のイギリス』−イギリスの労働党と日本の民主党」は、最後の方で靖国問題に少しふれることになった。私は靖国問題については詳しくないので、あまりふれたくなかったのだが、大阪高裁で違憲判決が出ているとおり、私は首相の靖国参拝は憲法違反であると思っている。

 小泉首相が1月25日の参院代表質問で、「アジア諸国において、中国、韓国以外に参拝を批判する国はない」と述べたことは、中国と韓国に対するむき出しの敵意であるだけでなく、戦争中、大東亜共栄圏に入ったすべての国々の国民を敵に回す発言であるといってよい。国として公式に批判していなくても、首相の靖国参拝を苦々しく思う人が東アジアにたくさんいることは、シンガポールのリー・シェンロン首相の発言をみるだけでも容易に想像できる。

参院代表質問 靖国参拝で中韓の対応に改めて疑念 首相(毎日新聞・ヤフー)
東南アジアでも反発と懸念 小泉首相の靖国参拝(共同通信・ヤフー)

 論理を無視した小泉首相の発言に対しては、難しいことを書くより、誰にでもわかるような安易な言葉で訴えたほうがよい。小泉首相によると靖国参拝を批判していないはずの台湾に国籍を持つ、日本在住のエロテロリスト、インリンさんはこう訴える。

アジアの安眠(インリン・オブ・ジョイトイの日記)

ところで・・・・、小泉首相は「二度と戦争を起こしてはいけない!」って日本が侵略戦争を起こしたこと認めて反省してるんですね!エライ!エライ!
ならもう一歩素直になって、アジアの犠牲者もいろんな宗教の人も宗教嫌いな人も傷つかないように追悼して下さい。
あなたは個人じゃなく日本の代表なんですから一つの宗教にこだわるのはおかしいです。
日本の憲法にも違反してます。
しかも、靖国神社は、国民を洗脳してアジア侵略の加害者にした軍国主義の宗教で、今でもあの侵略戦争を美化して正当化してるんですよ!
そこで祈るなんてのは、中国・台湾・韓国・朝鮮・沖縄・ベトナム等のアジアの被害者だけではなく、日本の為だと洗脳されて死んだ日本人や植民地の人達にも失礼です。
今、日本人でも正常な人は怒ってます。
侵略されたアジアの人達が怒るのは当然です。
あなたはいつもアメリカの言いなりになってるくせに、アジアの人達の当たり前な気持は無視なんて、かなりおかしいと思う。
「二度と戦争を起こしてはいけない!」って思うなら、矛盾した偏った宗教でじゃなくて、出来るだけ多くのみんなが共感出来る施設で、平和な未来をめざす誓いをして下さいよ。

 小泉首相の靖国参拝は日本国憲法20条と89条に違反しているが、憲法違反を軽視する首相を党首とする自民党が、憲法改正を企てているのは憲法をもてあそんでいるとしか思えない。

 私は自衛隊も日米安保も容認しているし、PKOのような軍事的国際貢献も有りだと思っているが、憲法9条改正には反対である。

 なぜなら、現時点で自衛隊、日米安保、PKOともに解釈改憲で問題なく運用しているからである。今、9条改憲するということは、決して自衛隊を憲法で容認するといったレベルではなく、日本の自衛隊が集団的自衛権を自由自在に行使しながら、米軍とともに世界的に派兵できるようになることが目的だろう。

 要は、米軍の手足となって対テロ永久戦争に荷担し、それによる軍事大国化が進むことになる。さらに、米軍と離れて、日本単独の軍事行動という誘惑が高まってきたとき、日本の軍国主義化という可能性が捨てきれない。自民党タカ派の政治家はそこまで視野に入れていると私はみている。自衛隊の存在を明文化するためだけに憲法改正することなどありえないと考えるべきだ。

 自衛隊を憲法で正式に位置づけよう、プライバシー権や環境権を憲法に書き込もう、といった甘い言葉にだまされてはならない。

 「9条守ろう! ブロガーズ・リンク」に賛同します。
(インリンさんも賛同しています)

9条守ろう! ブロガーズ・リンク

January 28, 2006

『ブレア時代のイギリス』−イギリスの労働党と日本の民主党

 山口二郎著『ブレア時代のイギリス』(岩波新書)は、日本の民主党を考える際に参考になるイギリス労働党について書かれた本であるので、民主党を考える際にはぜひ読んでおきたい本といえる。
 
 ブレアは「大統領型首相」、「選ばれた独裁者(elected dictator)」と呼ばれる。そのように強い力を持つようになった理由として、山口氏は、第三章「民主主義の危機と好機」で次の要因が挙げている。

1 政権奪取にいたる労働党の歴史的経緯という要因。
  選挙に勝てるリーダーの下でまとまる必要があった。

2 小選挙区制と議院内閣制という制度的要因。
 小選挙区制で当選するためには、党の公認を得ることが不可欠である。議院内閣制で与党が政権を支えるためには、政府が提出する法案や予算の議会審議において与党はまとまってこれに賛成する必要があるため、党議拘束がかかることになる。

3 ブレアの人格という要因。
  ブレアはカリスマ性を持ち、弁舌能力も抜群である。

 1と3については、日本の民主党の場合、前原氏は若さの点でブレアと共通しているが、カリスマ性と弁舌能力という点で疑問符が残る。新自由主義を自明のものと考え、親米である点は共通だが、イギリス国民はその点を評価してブレアを支持しているわけではない。
 2については、先の衆院選で小泉首相が郵政民営化に反対する候補者を自民党の公認から外して、自民党内のリーダーシップを強化したことなど、日本でもイギリスのように議院内閣制本来の強力なリーダーシップを活用し始めていることは周知のとおりである。

 山口氏は、p69で「政治の人格化」を紹介している。
 その内容は、従来の政党や組織を政治行動の単位とする代表民主政治に対する不満が高まると、リーダーは国民に直接語りかけて、国民の支持を獲得しようとする。リーダー個人の魅力やイメージによって国民の支持を動員し、選挙での勝利、重要政策の推進を図る政治の手法の拡大を、「政治の人格化」と呼ぶ(この言葉は、イタリアの政治学者、マウロ・カリーゼが概念化した)。この傾向が進めば、国民が政策の中身をじっくり考えて判断するのではなく、特定の政治家の個性で政治の動きを正当化してしまう。イギリスは、政治の人格化が最も早く現れた事例であった。
 人格化された政治においては「直接性」が鍵となるが、ここで注意しておくべきことは、人格化された政治における直接性は、あくまで擬似的なものでしかないという点である。
 テレビという媒介(メディア)を通して、マーケティングの手法やスピンドクター(メディア政治における演出家、振付師)を駆使し、政治家が断片的な言葉「サウンドバイト」を吐いていくさまは、イギリスの首相・ブレア氏だけでなく、日本の首相・小泉氏の日常でもある。

 山口氏は、政治の人格化の問題点について、マックス・ウェーバーの「カリスマ的支配」の概念を用いながら、次のように指摘している。

p76
 だが、政治の人格化が進めば、権力の正当性根拠はカリスマに移る。そうなると、権力は属人的なもの、さらに言えば権力者の私物となりかねない。また、従来の法的責任追及や統制の仕組みも機能しなくなる。権力者が暴走したときに議会でこれを追及しても、人格化されたリーダーはこれをかわして、「リーダーとしての決断」という言い方で自らの行動を正当化しようとするであろう。国民による法的なコントロールや責任追及から権力者が自由になるということは、民主主義の空洞化、さらには独裁の誕生に他ならない。

p77
 しかし、問題はさらに残る。政治の人格化を引き起こす能力がよいリーダーの条件と考えるという発想が一般市民に広がると、人々は常に「他にリーダーとなれる人がいない」という物足りなさに苛まれることになる。今のリーダーに変わるべき人材がいないという雰囲気の中では、リーダーが政策上の失敗を犯しても、それについてけじめをつける、責任を追及するということが曖昧にされがちとなる。こうした現象は、ブレアのみならず、イタリアのベルルスコーニ、日本の小泉などに共通しているように思える。


 ブレアが無理をしてまで、ブッシュの戦争に荷担した理由として、三つの解釈がある。私には三つ目の解釈が興味深かったので、ここで紹介したい。
p106
 第三の解釈は、英米の軍事的一体化の中では、イギリスにとってアメリカの戦争に協力する以外の選択肢はありえないという説明である。これは、先に紹介した半澤朝彦氏が強調している。軍事的一体化という点では、日米の間でも進んではいるが、日本の場合、軍事力の行使が国としての選択肢の中には入っていない。日本は、表向きあくまで「人道支援」という名目で自衛隊を派遣している。それに対して、イギリスは、アメリカよりもはるかに小さい規模ではあるが、軍事力の行使によって国際社会における影響力を維持するという行動をこれまでもしばしば取ってきた。この外交路線を維持するならば、実際に使える軍を保持することが必要になる。だが、現状では、軍を実際に使えるようにするためには、情報、技術の両面でアメリカの援助が不可欠である。軍事力の行使という選択肢を維持するためには、米軍とともに行動するしかないというのが、第三の解釈である。アメリカに逆らうと、以後、軍事力の行使はできなるという指摘は、現実を言い当てているように思える。

 日本がアメリカとの軍事的一体化を進めていくと、イギリスのように今後アメリカの意に反する行動がとれなくなる可能性が高い。日本単独の暴走、要は戦前の日本軍国主義の復活は防げるかもしれないが、アメリカがブッシュ政権のように軍事的暴走を始めた場合、日本も否応なくその渦の中に巻き込まれることを意味する。日本のタカ派はそこまで考えているのだろうか。それとも日本独自の行動は可能と考えて、日米軍事的一体化を進めているのか。
 どちらにしろ、日米軍事的一体化の行き着く先には、悪夢のシナリオが待っていそうだ。

 この本には、他にも「第三の道」の三つの評価や、ブレア政権で地方分権が強力に推進されたことなど、日本も参考になることがたくさん紹介されている。
 イギリスのブレア政権が問題を抱えていて、「第三の道」が新自由主義を覆い隠す偽装のスローガンだとしても、日本の小泉政権に比べればはるかにまともな政治をしていることもわかる。
 ブレア首相は大量破壊兵器で嘘をついて大問題になったが、小泉首相は初めから論理的でない政治を行っているので、問題が発生するわけがないのである。

p190
 しかし、小泉とブレアには大きな違いもある。ブレアが演説を大切にし、論理によって人を説得しようとしたのに対し、小泉は論理を無視し、単純化と問題のすり替えによって大衆の支持を集めた点である。イラク戦争のとき、ブレアは戦争の正当性を証明するために、大量破壊兵器という壮大な虚構を作り出し、その結果自らを窮地に追い込んだ。これに対して、小泉は、国会答弁でおよそ論理というものを軽蔑した言動を繰り返した。日本以外でこのような政治家の存在が許されるとは思えない。

 小泉首相の「靖国参拝は心の問題」「靖国参拝を批判しているのは中国と韓国だけ」といった発言に至っては、論理破綻もいいところだが、それを指摘しないマスコミも、遂に大政翼賛会入りしてしまったかと思うほどヘタレであり、ぶざまな腰砕けである。
 私は先の衆院選後、日本は新しいファシズムの時代に入ったのではないかと思っているのだが、このようなマスコミ報道にもファシズムの影が現れているかもしれない。

 日本の自民党は今後、イギリス保守党の「恐怖の政治」(p151-153)に近い手法をとるのだろう。北朝鮮や中国の軍事力、国内の犯罪等の身体的な恐怖感をあおって、軍事力増強と警察力強化によって、自民党の支持につなげるという手法である。

参考ブログ等
靖国問題:小泉総理のいい加減な憲法理解、再び(私的スクラップ帳)
極東の対話欠如--ルモンド記事(ね式(世界の読み方)ブログ)
06年1月:驕る小泉は久しからず?(yamaguchijiro.com)
参院代表質問 靖国参拝で中韓の対応に改めて疑念 首相(毎日新聞・ヤフー)
東南アジアでも反発と懸念 小泉首相の靖国参拝(共同通信・ヤフー)
麻生外相「天皇の靖国参拝実現を」(中国新聞)
カリスマ(wikipedia)

January 15, 2006

『昭和史の決定的瞬間』−社会大衆党と民主党

 坂野潤治著『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)は、今までの常識を覆して、日中戦争直前まで民主化が進展していたことを明らかにしている。先日、NHKで戦前のカラー映像の番組を見ていたら、現在の映像を見ているような不思議な気分にとらわれた。戦争前には日本の都市に高いビルが建っていた。発展した国で、平和に人々が暮らしている。今の時代とあまり変わらないのである。この本を読んでいるときも同じ気分にとらわれた。それだけ、映像や記述に対してリアリティーがあるし、戦争が近くに感じられないという点で共通点があると思った。

 陸軍長老の宇垣を総理・総裁に迎えることによって、戦争とファシズムを阻止しようとする構想は、民政党と政友会の二大政党の一部によって満州事変以降、一貫して抱かれていたものだった。1937年1月、宇垣内閣を流産させたのは石原莞爾を中心とする陸軍であったが、天皇側近が2・26事件で萎縮していたことも大きな要因であった。また、半年後に日中戦争が始まることになるわけだが、意外なことに当時、天皇側近は戦争の切迫度を感じていなかったようだ。

 この参謀本部の対ソ戦準備は、飛行機や戦車の製造のための重工業化を含む大がかりなもので、戦争の規模は対中戦争に数倍するものであったが、他方で「五カ年計画」という名称が示すように、今すぐ戦争を始めようというものではなかった。他方、満州の関東軍がめざす対中戦争は、満州事変以来少しずつ進められてきた中国北部への侵略をめざすもので、明日にも起こるかもしれないものであった反面、単なる局地戦争で終わるかもしれないものであった。
 こうして、歴史的に見れば、半年後の日中戦争を回避できたかもしれない宇垣一成の組閣に際して、天皇側近や元老西園寺公望には、この内閣が戦争回避のための最後の橋頭堡だというほどの認識はなかった。気軽に組閣の命令を下し、気軽にその失敗を受け容れたのである。(p99-100)

 1937年4月30日の総選挙で、社会大衆党が36名を当選させて躍進した。社会大衆党は合法的社会主義政党で、社会民主主義的な政策を打ち出していた。自由主義者の河合栄治郎は「日本政治史上において特筆すべき重大な事実」として、西欧と同じように日本にも「社会党」が登場したことを歓迎した。
 しかし、「広義国防論」という軍部を支持し、ファシズムを容認するような政策も打ち出すなど、タカ派的要素を抱えていた。中下層民はそのことを忘れて投票した人が多かったようだが、知識人はタカ派的要素を懸念し、その払拭を望んでいた。
 次の談話から、社会大衆党がこの後大政翼賛会に入ったことが頷ける。

総選挙後の1937年5月8日、雑誌『中央公論』が主催する評論家の座談会での、社会大衆党の三輪寿壮の談話

・・・私ども、馬場(恒吾)さんや清沢(洌)さんのご意見をきいていると、とにかく旧い。・・・やはり、政党政治というものに非常に憧れを持っておられる。・・・それは私はもうだめだと思うんですね。・・・私はその点からいえば、政民両党一緒になって保守党なら保守党という立場・・・をとってくれるのなら、それは相手にするにしても何にしても非常にいいんですが、ただ旧い変な殻を持っていて、それで二大政党でござるというような立場でいる。それが議会政治はみんな俺の方で背負っているという格好でやられる。どうもそれにくっついていくというわけにはいかないんですよ。・・・(p184)

 1937年の総選挙は意外にも民主的な選挙だったといえる。社会大衆党にファシズム的要素があったものの、それを支持した庶民にファシズムを支持する気持ちがなかったどころか、軍部に反対票を投じるつもりで、社会大衆党に投票した人が多かったようだ。(p213参照)

1937年8月20日発売の『改造』9月号に掲載されたマルクス主義哲学者の戸坂潤の論文

「日本におけるいわゆる自由主義なるものは、事実上民衆の平均常識なのであるから、つまりこの矛盾(厖大な軍事予算と国民生活安定予算との矛盾)への注目は、国民の時代常識であったわけだ。これが現下の日本国民の常識であるという歴然たる事実を認めまいとするものは、まず何らかの意味でのファッシストであると断じて誤らない。・・・自由主義ないしデモクラシーが今日の日本国民の政治常識であるという事実を、まげることは出来ぬ。選挙演説などの有様を見ると、この事実は疑う余地なく実証される。」(p193)

 これまで戦後の日本人が信じてきた常識に反して、戦前日本の民主主義の一つの頂点で日中戦争が勃発したのだった。この後、戸坂は日中戦争が民主主義を滅ぼしたと結論している。

 1937年の社会大衆党が、現在の民主党にだぶってみえてしまった。社民主義とファシズム的要素が混在している戦前の社会大衆党は、社民主義の政治家が一部にいて、タカ派の政治家が多くいる今の民主党に似ていないだろうか。
 有権者は民主党に対して、自民党よりもリベラルな政策を期待している人が多いと思うが、実際の民主党は自民党よりもタカ派的要素が強く、新自由主義的であることも、社会大衆党と当時の有権者のギャップに似ていないだろうか。

 社会大衆党は戦争が起こると、大政翼賛会に参加して、戦争に協力していった。もし、この先戦争が起こったら、民主党も戦争に協力していくのだろうか。そのようなことを自然に考えさせられる本だった。

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