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September 25, 2005

カルト宗教のような新自由主義

 1929年、資本主義社会を襲った世界恐慌は、それまで経済学で支配的だった新古典派経済理論の信頼性を失わせ、経済学は危機を迎えた。この経済学の危機を解決したのが、ケインズの『一般理論』だった。
 しかし、戦後になってから、ケインズ以前の新古典派が見直され、その研究が進んだ。その理由として、特に、1960年代から70年代にかけて、アメリカでインフレ、失業、国際収支の不均衡が螺旋的に拡大して、ケインズ主義的な財政・金融政策がその効果を失ったことが挙げられる。
 1970年代になると、アメリカで新古典派を発展させた反ケインズ経済学が席巻した。

 1970年代の経済学は、一言でいえば、反ケインズ経済学といってもよいように思われる。(中略)反ケインズ経済学は、合理主義の経済学、マネタリズム、合理的期待形成仮説、サプライサイド経済学など多様な形態をとっているが、その共通の特徴として、理論的前提条件の非現実性、政策的偏向性、結論の反社会性をもち、いずれも市場機構の果たす役割に対する宗教的帰依感をもつものである。(A-p189)
 まず、反ケインズ経済学を源流まで遡って、フォン・ミーゼスの理論からみていきたい。オーストリアのミーゼスはハイエクに影響を与え、ハイエクは反ケインズ経済学の代表者ミルトン・フリードマンに影響を与えている。
 ミーゼスはウルトラ自由市場派である。自由放任の完全競争状態では、専門家が「パレート最適」と呼ぶ状態―生産されたものはすべて需要者に売りつくされ、労働市場は完全雇用にある状態―が実現される、と彼は考える。その状態では、各個人の満足が極大になるよう取引が行われており、各企業は利潤が極大となるよう生産をしている。すなわち自由放任は、すべての人、すべての企業を満足させるのであり、その社会の資源を最大限有効に使うのである。
 こういう考え方は、いわゆる近代経済学者の共通見解だと見られているが、正確には、本書で既に繰り返し述べてきたように、それは非現実的な極めて特殊の場合にのみ正しいのであり、一般の場合には正しいとは言えない。特殊な場合とはセイ法則が成立する場合であり、近代的な現実の社会では、セイ法則は成り立たない。(B-p189)
 ミーゼスは1922年の『社会主義』で、アヘン戦争の原因となったイギリスによるアヘン貿易を正当化するなど、完全な自由放任を主張していて、それによって反社会的な結論になっても構わないという立場である。

 1970年代の反ケインズ経済学にも似たような例があり、合理主義の経済学も反社会的な経済理論といえる。ゲーリー・ベッカーの「教育の経済学」は、高等教育を受けようとする人は、教育を受けたときにどれだけの生涯所得が増加するかということと、そのような教育を受けるためにどれだけ費用がかかるかということを比較して、高等教育を受けるかどうかを合理的に決定する。「犯罪の経済学」は、殺人を犯そうとする人が、殺人することによって得られる楽しみと、捕まって処刑される確率とその苦しみを比較して、殺人を犯すかどうかということを合理的に決めるという考え方である。
 

 私は、1980年春から夏にかけて、6か月ほどアメリカのミネソタ大学に滞在した。ミネソタ大学は、規模は小さいが、魅力的な経済学部をもったところで、私は以前からよく訪れることが多かった。しかし、このときには、学生たちの雰囲気が異常であったのには、到着早々驚きの念を禁じえなかった。当時ミネソタは、合理的期待形成仮説を信奉する人々のメッカの一つになっていて、学生たちだけでなく、他の大学からも少なからぬ数の人々が集まっていた。かれらは、合理的期待形成仮説をREと呼んで、相互に、この仮説の信者であるということを確認し合っていた。ルーカスの二つの論文、「貨幣の中立性について」と「景気循環をどう理解するか」がかれらにとってもっとも大切な論文であった。いまでも記憶に鮮明に残っているのは、一人の女性の研究者が、ルーカスの後者の論文を、全部暗記していて、議論をするごとに、その論文の何ページに、こういう文章があるといって、眼をつぶって、あたかもコーランを暗唱するかのような調子で唱え出す光景は異様であった。(A-p257)
 70年代のアメリカの経済学部では反ケインズ経済学一色に染まっていたが、これは反ケインズ経済学が市場機構の果たす役割に対して、宗教的な帰依感をもっているからともいえる。まるで、市場を神様とするカルト宗教のようだ。ケインジアンの経済学者が講義すると、反ケインズ経済学信奉者の妨害にあった(A-p258参照)という。
 1970年代を通じて、とくにアメリカの諸大学で、一種の流行現象となった反ケインズ経済学の考え方は、現実の経済におけるさまざまな制度的、時間的制約条件を捨象して、新古典派経済理論の理論前提をさらに極端な形で推し進め、論理的演繹と統計的推計を通じて、ある特定の政治的イデオロギーにとって望ましい政策的命題を導き出す。そして、ケインズ経済学に代わって、新しい経済学の理論的枠組みをつくり出しているかのような印象を与えてきた。しかし、これらの考え方はいずれも、理論的整合性という点からも、また現実的妥当性という点からも、浅薄かつ皮相的であって、しかもときとして深刻な矛盾を含んでいる。いずれもケインズ経済学に代替しうるものではなく、新しい経済学のパラダイムが形成されるまでの鬼火現象にすぎない。しかし、このような考え方が、アメリカの多くの大学における経済学の研究を支配し、その教育に対しても少なからぬ影響を与えつづけてきた。さらに、政治的、社会的にも無視しえないインプリケーションをもったという現象は、ある意味でアメリカ社会の病根がいかに根強く、深刻なものであるかということを端的にあらわすとともに、経済学のこれからの進展に大きな影を投げかけるものとなっている。(A-p212-213)
 反ケインズ経済学によって、アメリカでレーガン政権の経済政策が行われた。その結果、失業率の増大、双子の赤字、外国為替市場の変動の不安定化等が起こった。イギリスでもサッチャー政権の経済政策は不成功に終わった。それにより、反ケインズ経済学に対する批判と反省が起こった。

 しかし、その後アメリカ主導でグローバル経済化が進んだことにより、世界中に反ケインズ経済学(新自由主義)が流布した。ケインズ政策が行き詰まったとき、ケインズ経済学を改良しなければならなかったところを、新古典派に戻ってしまったところに悲劇の原因がある。まるで、市民革命後、歴史の針を逆に戻した王政復古の反動体制のようだ。反ケインズ経済学者は巧妙な数式を使って、理論を組み立てているが、土台はあくまでケインズ以前の新古典派である。
 日本ではアメリカ・イギリスから20年も遅れて、新自由主義を真似ようとしている。小泉構造改革は、20年前の新自由主義の焼き直しに過ぎない。国民はその「改革」に支持しているが、その「改革」の経済理論まで知る国民は少ない。

参考文献
(A)宇沢弘文『経済学の考え方』(岩波新書1989年)
(B)森嶋道夫『思想としての近代経済学』(岩波新書1994年)                             

September 23, 2005

民意を歪めてまで安定政権をつくるのか

 9月18日、ドイツで行われた総選挙は、第1党と第2党が3議席差になる大接戦となった。ドイツの選挙制度は小選挙区比例代表併用制で、日本の小選挙区比例代表並立制と名前が似ているが、全く違う制度である。ドイツの併用制は比例代表の得票率でまず各党に議席配分するので、小選挙区中心の日本の並立制とは違い、比例代表中心の制度といえる。

<参考>ドイツの政党
・キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)
保守。選挙前の野党。メルケルCDU党首。シュトイバーCSU党首。シンボルカラーは黒。
・社会民主党(SPD)
左派。選挙前の与党。シュレーダー首相。ミュンテフェリング党首。シンボルカラーは赤。
・自由民主党(FDP)
中道。自由主義。選挙前の野党。ヴェスターヴェレ党首。シンボルカラーは黄。
・左派党 
民主社会党(東ドイツの旧共産党)とSPDの離党組が合流。シンボルカラーは赤。
・緑の党
環境政党。選挙前の与党。フィッシャー外相。ビュトコーファーとベーアの二人党首。シンボルカラーは緑。

<表(枠なし)>2005年総選挙の日独比較(数字は左から相対得票率、議席数、議席率)
・ドイツ
CDU/CSU 35.2% 225 36.7% 
SPD     34.3% 222 36.2%
FDP      9.8%  61 9.95%
左派党    8.7%  54 8.81%
緑の党    8.1%  51 8.32%

・日本
自民党   38.18% 296  61.67%
民主党   31.02% 113  23.54%
公明党   13.25%  31  6.46%
共産党    7.25%  9   1.88%
社民党    5.49%  7   1.46%

 上の結果(現時点でドイツの全議席数は決まっていない)を見てわかるように、ドイツの併用制では、得票率と議席率の差がほとんどない、民意を正確に反映した選挙制度といえる。

 今回、大接戦となったことで、各党の連立交渉が難航しているが、現在取りざたされている連立の組み合わせとして有力なものから並べると次のようになる。
1 CDU/CSUとSPDの「大連立」
2 CDU/CSUとFDPに緑の党が加わる「ジャマイカ(黒・黄・緑)」
3 SPDと緑の党の現政権にFDPが加わる「信号機(赤・黄・緑)」
4 SPDと緑の党の現政権に左派党が加わる「赤・赤・緑」

 ドイツの大連立は、議会内で圧倒的な多数派が形成されるため、危険な連立政権といえるが、1966年のキージンガー連立政権では、政権担当能力が未知数とみられていたSPDが与党入りすることによって、政権担当能力を磨くことができ、SPD主導の連立政権に道を開いたともいわれる。
 日本でも、前原氏が民主党代表に就任したことで、自民・民主大連立の可能性がある。ドイツとは違って、日本では憲法改正という重大な政治テーマがあるため、大連立は改憲に道を開く、まさしく危険な連立政権となるだろう。

 ドイツの併用制を、安定政権にならずに混乱状態を招く悪い制度という指摘もあるようだが、民意を歪めてつくる安定政権とは一体何なのか。民意を正確に反映させない選挙など、選挙といえるのだろうか。単純小選挙区制のような、極端に民意を歪める制度は、少なくとも日本国憲法に違反しているだろう。
 議院内閣制で単純小選挙区制を使用しているのはイギリスとカナダだけであるし、小選挙区制主体の並立制もイタリアだけで、少数派である。ヨーロッパの多くの国は比例代表中心の選挙制度であり、比例代表中心でもドイツの併用制のように、小選挙区制をとりいれて、顔の見える選挙にする方法もある。
 比例代表制に対する批判の多くは的はずれで、間違った俗説に過ぎない。

 なお、ニュージーランドでは、1996年、小選挙区制からドイツと同じ併用制に変更した。先日行われたニュージーランド総選挙では、ドイツと同じように大接戦となった。ニュージーランドは、90年代に新自由主義的な構造改革の結果、その歪みが明らかとなり、1999年に成立したクラーク労働党政権が、行き過ぎた構造改革に対して国有化等の修正を行った経緯がある。このようにニュージーランドは、選挙制度だけでなく、構造改革に関しても参考になる国なので、ニュージーランドに関しては、また別の機会に取り上げたいのだが、日本語による情報が少ないのが難点である。

<参考>ドイツ(西)の戦後連立内閣
1949 アデナウアー内閣    (CDU/CSU+FDP+ドイツ党)
1957 第3次アデナウアー内閣(CDU/CSU+ドイツ党)
1961 第4次アデナウアー内閣(CDU/CSU+FDP)
1963 エアハルト内閣     (CDU/CSU+FDP)
1966 キージンガー内閣    (CDU/CSU+SPD)(大連立)
1969 ブラント内閣        (SPD+FDP)
1974 シュミット内閣       (SPD+FDP)
1982 コール内閣         (CDU/CSU+FDP)
1998 シュレーダー内閣     (SPD+緑の党)

参考BLOG等
日本とドイツの選挙制度の違いを考える(toxandriaの日記)
「概説:現在ドイツの政治」(1)(大阪市立大学)
ジェトロ ドイツ
最近のニュージーランド情勢と日本との関係(外務省)
主要先進国の政治制度(バックナンバー) 

September 17, 2005

改憲への大きな一歩―2005年総選挙を振り返る

1 投票率上昇分が自民党に流れた?

 9月11日に行われた総選挙の投票率は67.51%(小選挙区)と、前回の59.86%より大幅に上昇し、1994年総選挙の水準まで回復した。

無党派層は小選挙区でどこに投票したか(出口調査)(読売新聞9月12日朝刊)
2003年衆院選 自民党28% 民主党51%
今回        自民党38% 民主党45%

 投票率上昇分の多くは自民党票だったと推測される。その理由としては、民主党が得票を減らしていないこと(後述)や、無党派層で自民党に投票した人が増えていること位しか挙げられないのだが、政治に関心がある無党派層ではなく、関心がない無関心層が今回投票に行って、その無関心層の多くが自民党に投票したとすると、投票率上昇と自民党得票増の説明がつくのだが、無党派層と無関心層に分けた調査結果がないと何ともいえない。

「無関心層」自民を選択? (朝日新聞神奈川版)

2 非民主的な小選挙区制

小選挙区の絶対得票率と議席率(前回総選挙との比較)
自民党
絶対得票率       議席率
25.52%        56.0%
↓(+6.06ポイント)→↓(+17.0ポイント)
31.58%        73.0%

民主党
絶対得票率       議席率
21.34%        35.0%
↓(+2.75ポイント)→↓(-17.7ポイント)
24.09%        17.3%

比例代表の絶対得票率と議席率(前回総選挙との比較)
自民党
絶対得票率       議席率
20.19%        38.3%
↓(+4.95ポイント)→↓(+4.4ポイント)
25.14%        42.7%

民主党
絶対得票率       議席率
21.60%        40.0%
↓(-1.17ポイント)→↓(-6.2ポイント)
20.43%        33.8%

 民主党は比例代表で前回よりわずかに1ポイント減らしただけで、小選挙区ではかえって得票を増やしていることがわかる。自民党と民主党の明暗を分けたのは、小選挙区の得票の差だった。この差が投票率上昇分ではないかと思う。

 得票率7ポイントの差を、議席率56ポイントの差にしたのが、小選挙区制のマジックである。勝者皆取り方式で、第1党に実際に得票した以上の議席を与えるのが小選挙区制の特徴で、安定政権をつくりだすのが目的だが、民意が正確に反映されない制度であり、少数意見が反映されなくなるという点で、非民主的であり、欠陥がある制度だ。単純小選挙区制を使用している国はアメリカとイギリスだけであり(フランスは小選挙区2回投票制)、日本と同じ並立制を使用しているのはロシア、イタリア、韓国といった国々で、他のヨーロッパ諸国では比例代表中心の選挙制度である。

3 3分の2の議席確保と憲法改正

 日本では憲法改正という重大な政治テーマがあり、小選挙区制は憲法改正のために導入されたという批判もあった。今回、自民・公明で3分の2の議席を確保したことで、その批判が現実化した。

 憲法改正は各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要だが、戦後、自民党が3分の2の議席をとることはなかった。社会党は万年野党であったが、野党全体で憲法改正阻止の3分の1以上の議席を常にとっていて、そのことが社会党の数少ない大きな実績であった。

 その一例として、1953年、吉田内閣による総選挙が挙げられる。現在、「青年よ、銃をとるな。婦人よ、夫や子どもを戦場に送るな」と言って選挙を闘っても、どこまで通用するだろうか。戦争の記憶が風化してしまうというのは恐ろしいことだ。国際政治の知識ばかり豊富な自民・民主両党の若手政治家をみるたびに、決定的に欠けているのは戦争に対する想像力だと思う。

『戦後政治史 新版』石川真澄(岩波新書)

この選挙の争点は「再軍備」であった。鳩山自由党は憲法9条を改定してはっきり軍隊をもつことを主張し、改進党も清瀬一郎など一部に改憲反対派がいたものの、大体は改憲・再軍備説であった。吉田自由党は憲法はそのままに、「戦力なき軍隊」などの表現でごまかしながら、なし崩しに再軍備を進めていると思われていた。
これに対して、左右両社会党は、保安隊を解散する(左)か縮小する(右)かなどの違いはあったものの、ともに再軍備反対の立場をとった。選挙の結果は、国民の気持ちがこうした再軍備反対の側にやや傾いたことを示していた。とくに左社の躍進は、総評が「左社と一体」の方針で全面支援したことも大きな理由であったが、一般にはこの選挙で鈴木茂三郎委員長が叫んだスローガン「青年よ、銃をとるな。婦人よ、夫や子どもを戦場に送るな」が、敗戦の苦しみからまだ7年あまりの時期の国民の心をつかんだとされた。(p65-66)
 自民党が憲法改正を実現するために小選挙区制を導入しようとした例として、鳩山内閣のハトマンダー事件がある。
この案は衆院議員定数を497へ、当時の定数に30をプラスし、選挙区は定数1の小選挙区455と、21の2人区とを設けた。ほぼ単純小選挙区制と呼べるものであった。また、労組の選挙運動を禁止したり、立会演説会を廃止することも法案に盛り込まれた。
さらに、選挙区の区割りは、全体に自民党の現職に有利なように、また、なかでも旧民主党系に都合良く線引きされていた。この区割りは「ゲリマンダー」をもじって「ハトマンダー」と呼ばれた。ゲリマンダーとは、1812年、米マサチューセッツ州知事ゲリーが自分の属する党に有利なようにつくった州内選挙区の形が、ギリシャ伝説の火中の蛇「サラマンダー」に似ていたことを風刺して名付けられた選挙区の形のことである。
これは改憲の意図に反発する野党はもちろん、小選挙区制には賛成の与党からもきわめて強い反対があった。結局、小選挙区法案は世論の猛攻を浴びて、56年6月3日、廃案となった。(p77)

自民の「圧勝度」戦後2位 議席占有率61.7%(朝日新聞)

4 メディア選挙に踊らされた無関心層

またメディアに圧力:自民党「刺客と呼ぶな」/資料:郵政民営化世論(kitanoのアレ)

 広告代理店によるB層戦略(IQが低い小泉内閣支持基盤に対する宣伝戦略)が明らかにならなくても、連日のワイドショーの刺客報道など、自民党の狙いは明らかで、メディア選挙は大当たりだった。メディア選挙に踊らされたのは、広告代理店の思惑通り、テレビを見る時間の多いB層であるだろうし、それは今まで政治に関心が無くて選挙に行かなかった無関心層にも重なりそうだ。この人たちは、強いリーダーシップや、政策のわかりやすさ(郵政民営化に賛成)だけで自民党に投票しただけで、あまり深くは考えない人たちだろう。
 次の記事は若者だけをバカにしているようで関心しない記事だが、登場する若者の話はB層の典型だろう。

小泉自民寄りくっきり 20代のココロ(東京新聞)

5 市場原理主義志向の無党派層

 無関心層とは違い、無党派層はメディア選挙に踊らされただけではないと思う。郵政民営化をはじめとする小泉構造改革に賛成し、小さな政府と市場原理主義を志向する人々だろう。社会の一線で働いていて、政治に関心はあるが、普通に新聞を読む程度で、政治に対してあまり深く考えたことがない(考える時間もない)人たちだろう。

 民主党が、市場万能の市場原理主義(新自由主義)に対抗して、社会民主主義の政策を魅力的に提示できれば、この層の人たちはそちらに流れるだろう。民主党が、基本的に市場原理主義とあまり変わらない政党(そうではない議員もいるが少数派)であることが、無党派層を市場原理主義志向にさせ、民主党よりも徹底した市場原理主義の自民党に投票させたといえるかもしれない。

小泉構造改革=新自由主義とは何か(バックナンバー)

6 弱者は醜いという深層心理

 近年、日本では不平等の拡大を当たり前とするような「公正」概念に変化していて、今回の総選挙の結果もそれを表したものといえる。イギリスのロナルド・ドーアは、社会規範の変化の要因について、『働くということ』で考察している。

『働くということ』(1)(バックナンバー)

 内田教授は、今回の総選挙で「弱者は醜い」という「勝者の美意識」に大都市圏の「弱者」たちが魅了されたと分析する。

勝者の非情・弱者の瀰漫(内田樹の研究室)

 小泉首相や石原知事が人気があるのは、強いリーダーが待望されているからだとよくいわれるが、強いものを求める日本国民はまるで「自由からの逃走」であり、ナチス登場時のドイツによく似ている。
 フロムは強い者に卑屈に服従し(マゾヒズム的傾向)、弱い者に過剰に攻撃的になる(サディズム的傾向)からなる「権威主義的性格」こそがファシズム発生の人間的な要因であると主張した。

『自由からの逃走』E.H.フロム(東京創元社)(amazon)

社会的性格(はてなダイアリー)

7 最悪のシナリオ

 9月17日、民主党代表に前原氏が就任した。前原氏はタカ派なので、自民党と憲法改正で一致すれば、今すぐにでも憲法改正国民投票を行うことができる。国民投票の際は、今回の総選挙のようにメディア選挙に持ち込めば、容易に過半数の賛成が得られるだろう。さらに、憲法改正国民投票法案では、国民投票期間中は、至る所で憲法について論ずることを禁止し、違反者に刑罰を課するための方策が盛り込まれているようだ。

今朝の空は薄茶色(★J憲法&少年A★)

 前原民主党が憲法改正を断った場合でも、次の参院選で自民・公明で3分の2の議席を確保できればよい。次の参院選までに小泉首相から安倍首相に代わっているだろうから、人気のある安倍首相のもとで参院選を闘えば、3分の2も可能だろう。

 私は憲法改正に反対である。私は自衛隊の存在を認めているし、PKOのような軍事的国際貢献も可だと思っているが、9条改正に対しては、その裏には米軍の手足となって対テロ永久戦争に荷担し、それによる軍事大国化、さらには軍国主義化の思惑が隠れているとみている。自衛隊の存在を明文化するためだけに憲法改正することなどありえないと考えるべきだ。

 衆院で与党の議席が3分の2を突破し、野党第1党が右傾化して、世の中が一気に茶色化(ファッショ化)してしまった以上、私も微力ではあるが、当ブログで憲法改正阻止の運動をせざるを得ないと考えている。

茶色の朝(amazon)

8 民主党は新自由主義に対抗する思想を提示せよ

 5でも触れたことだが、民主党は新自由主義に対抗しうる社会民主主義を掲げて、魅力ある政策を提示していくべきだが、前原代表が就任したことで、このことは絶望的になってしまった。それどころか、それとは正反対に、新自由主義をより純化させた政策を提示してくる可能性が高くなってしまった。民主党も一枚岩ではないとはいえ、新自由主義派が多数を占めているので、今の状況でガラガラポンとなっても、自民党や前原氏など新自由主義派を利するだけだろう。

 残念ながら、見通しは暗い状況だが、ここは良識ある民主党の一部の議員や他の野党議員に希望を託して、後はわれわれ国民が国会を監視していくしかない。

本文中に紹介した以外の参考BLOG
05年9月:民主党再建の方向性(YamaguchiJiro.com)
総選挙後(ね式(世界の読み方)ブログ)
いよいよ次は憲法改正?(Mangiare!Cantare!Pensare!)
【9.11選挙】魔女狩りの政治学と漠然とした不安(シバレイのblog 新イラク取材日記)
小泉劇場で『政府の民営化』が実現した先にあるものとは?(toxandriaの日記)
小泉自民党の圧勝:これは単なる偶然の一致だろうか?(私的スクラップ帳)
だまされる国民たち(NOPOBLOG)
うかうか病気にもなっちゃいられないっすよ(怒)(続・愛のまぜご飯)
(49:51)+(51:49)=327:153 ……民意は何か(blog::TIAO)


September 12, 2005

自公で3分の2の議席確保ー平和国家の放棄へ

 前の記事(「小泉構造改革=新自由主義とは何か」)は選挙終了後にアップしたものだが、書いたのはまだ結果が出ていない選挙中だったので、選挙結果を予想して書いたため、結果とズレがあった。「小泉自民党の圧勝」というのは自公で3分の2を取ることでは決してなかったのである。

 11日、NHKラジオを聞いていると、20時を過ぎた時点で突然、「自民党、300議席を超えることがほぼ確実な情勢」とアナウンサーが言っているのを聞いて、大げさではなく本当に、戦慄して体が凍り付いた。ああ、憲法改正が現実化するな、もしかすると、新しい軍国主義が始まるかもしれないな、と。

 憲法改正は両院議員の3分の2以上なので、次の参議院選挙で3分の2以上の議席を確保する必要があるのだが、長年実現することがなかった衆議院で3分の2以上の議席が実現したのは、憲法改正にとって非常に大きな前進と言える。

 福祉国家の放棄を意味する新自由主義の諸政策が行われることはほぼ確実だが、それだけでなく、平和国家の放棄を意味する憲法改正が行われる可能性も非常に高くなってしまった。郵政民営化賛成だけで自民党に投票した人は、新自由主義ばかりでなく憲法改正まで望んだことになりそうだ。郵政民営化はなんとコストの高い選択肢だったのだろう。

小泉構造改革=新自由主義とは何か

 総選挙は小泉自民党の圧勝で終わり、郵政民営化をはじめとする小泉構造改革がこれからさらに加速しそうだ。小泉構造改革は言うまでもなく新自由主義の一種であり、徹底した民営化は小さな政府となるが、小さな政府とは国が福祉から手を引くことを意味しているので、福祉切り捨てが避けられない。市場原理主義は一部の大企業の利潤を増やすが、多くの国民は所得減となる。市場原理主義は労働市場の流動性を進めるため、労働者の地位が低下し、労働者の使い捨て化が進む。貧富の格差は拡大し、富めるものと貧しいものが二極化するアメリカのような社会に向かう。

 多くの国民が、格差拡大社会を選挙の投票行動によって―騙されたとしても―望んだ以上、それによって辛い思いをしたとしても自業自得であって、首相はせいぜい「痛みに耐えてよく頑張った!」と言ってくれるだけで、何も面倒はみてくれないだろう。年次改革要望書の存在が明らかなように、首相は国民のことを考えているのではなくて、アメリカ合衆国のことを考えているのだから。

 これから格差拡大社会を頑張って生き抜いていくために、今回は小泉構造改革がそのモデルにしている新自由主義について再確認しておきたい。新自由主義はイギリスのサッチャー政権が始めたことで知られる。イギリスのロナルド・ドーアは新自由主義時代のOECDコンセンサスについて、次のように要約している。

ロナルド・ドーア『働くということ-グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書)(p132-135)

1 社会的セーフティーネットは明らかに必要であるが、それは最低賃金法と社会扶助によって提供できる。
2 そのどちらも、仕事を探すインセンティブを低下させるような水準や条件に設定されるべきではない。(以下略)
3 このような就業者給付や「社会扶助から労働所得へ」というプログラムを通じて、やや強制的ともいえる就業インセンティブを与えることは、二つの理由で望ましい。(以下略)
4 セーフティーネット水準の生存競争の場合ばかりではなく、すべてのレベルにおける労働の主たる動機はお金である。(中略)   公的部門は意気地なしの集まる世界である―軍人を別にすれば。しかし、その軍人もブッシュ大統領が海兵隊の愛国心に満ちた献身を褒め称えると同時に、ラムズフェルド国防長官は、軍事的機能を民間部門にアウトソーシングするのに忙しい。効率の名の下に利潤動機を活用しようとしている。イギリスのトニー・ブレアは同じことを病院について、日本の小泉首相は高速道路について行っている。
5 権力は腐敗するが、市場は規律をもたらす。(中略)   その最たるものは日本の年功制度である。勤続年数プラス「功」というのが建前だが、「功」の評価はしばしば本当の成果があるかないかにかかわらず、努力に大きなウェイトを置く。しかし、消費者は努力に関心を持たない。消費者は成果にだけ関心がある。買った器具が100%仕様通り動くかどうか、である。われわれは皆消費者なのだから、報いられるべきは成果だけである。
 以前、累進課税は共産主義のようだと話す人がいてとても驚いたことがあったが、今回の選挙で小泉構造改革が信任されたように、上に引用したようなOECDコンセンサスを受け入れる人が増えてきたということなのだろう。アメリカ流の実力本位社会によって、勝ち組になるのは一握りの人だけで、多くは負け組になるのだが、特にしわ寄せを食う20代と60代以上に自民党支持が多かったというのは皮肉を通り越して、無知のなせるわざであり、日本政治は今や小泉流ポピュリズムに操られた衆愚政治と化してしまったようだ。

 次回は、新自由主義が経済学的にどう捉えられているのかをみていきたい。

参考WEB
新自由主義(Wikipedia)
日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書(在日米国大使館)
    

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