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September 26, 2004

人々に歓迎された日本国憲法

 2004年8月に出版された『戦後政治史 新版』の「はじめに」は、石川真澄氏の最後の文章となった。石川氏といえば、『データ戦後政治史』が名前を変えながら版を重ねていて、政治学を勉強した人なら一度は読んでいるのではないか。個人的には、1993年に読んだ岩波ブックレットの『小選挙区制と政治改革―問題点は何か』が印象的だった。
 私は、日本国憲法が米国の押しつけであったかどうかには興味がない。憲法の内容がすべてであって、押しつけであったかどうかは憲法の価値に関係しない。押しつけであったとしても良い内容であれば良い憲法であるし、自主憲法であっても悪い内容であれば悪い憲法であると考える。しかし今回、石川氏への追悼として、最後の文章の一部を紹介したい。

 今から60年ほど前、1945年の日本敗戦の日、私(石川)は旧制中学の1年生であった。したがって戦後60年はほぼ全期間が私の生きてきた時間に重なる。とりわけ最初の10年が12歳から22歳までであったことは個人的に重要であったと思える。
 たとえば日本国憲法である。私たちは学校で英和対訳の副読本を与えられ、まだ中学生なのに英語を主にして憲法を教わった。当時、占領軍に「押しつけ」られたことは新聞やラジオではタブーだったのだろうが、教師は平然と「これはもとが英語だから英語で勉強しましょう」と言ってはばからなかった。それこそが戦後教育の根本欠陥だといきり立とうとする人々にぜひ知ってほしいのだが、当時、日本政府が用意した憲法改正案(松本蒸治・憲法担当相甲、乙案)も世間に知られていて、「押しつけ」の日本国憲法案が民衆にとってどんなに素晴らしいものであるかは教師に教わらずとも分明であったということである。戦後も初期はそういう時代であった。
 1945年10月4日、マッカーサーは東久邇内閣の近衛国務相(日中戦争時の首相)に、憲法改正作業の指導の陣頭に立つことを要請する。(誤解や、通訳の間違いとする説もある)その後、米国で近衛は戦犯なのになぜ憲法を起草するのかという批判が上がり、11月1日、GHQは近衛の仕事について関知しないと声明を出すことになる。
 近衛は天皇の大権を制限して議会の地位を強化する試案を発表する。
 東久邇の次に首相になった幣原首相は、松本蒸治を憲法担当相に任命する。松本は甲案と乙案を作成するが、どちらも近衛案よりもはるかに大日本帝国憲法にとらわれたものだった。
 民間の改憲案としては、日本共産党、憲法研究会、高野岩三郎、日本自由党などが案を出していて、GHQはこれらのうち憲法研究会案に特に注目していたようだ。
 1946年2月1日、毎日新聞が松本甲案をスクープすると、GHQは自分たちで憲法を作ることを決意する。2月3日、マッカーサーは「マッカーサー・ノート」をGS(民政局)に示し、GSは1週間で「マッカーサー草案」をつくりあげた。「マッカーサー・ノート」は、天皇は国家元首の地位にあること、戦争を廃棄すること、封建制度を廃止することの三原則。「マッカーサー草案」は国会を一院制としていたことなどを除けば、日本国憲法の原型である。
 GHQが新憲法制定(法的には改正)を急いだ背景には、GHQの上部にある極東委員会でソ連、オーストラリアなどが天皇制廃止を主張しそうな情勢があった。円滑な占領政策のために天皇制存続を決意していたマッカーサーにとって、GS主導で新憲法を制定するためには急ぐ必要があった。
pp.21-22
 「政治的権能を有しない」無害な象徴の形で残した天皇制とともに、マッカーサー・ノートで最初から示されていた重要な点は「戦争と軍備の放棄」であった。これがだれの発案なのかについて、マッカーサー自身はその後に公表された『回想記』その他の文書、談話などで一貫して、当時の首相・幣原の発案であると主張している。しかし、今日それを信じる者はほとんどいない。多くの証言がマッカーサー自身の考え方であったことを示しているのである。戦争放棄は、当時のマッカーサーの理想主義的な心情を表していると同時に、日本の侵略の思想的支柱であった天皇制を残す以上、日本が再び軍国主義国として復活することを恐れる国々に対して、「軍備なき国家」となったことで安心させなければならないという配慮から出たものであったとみることができる。
 憲法の平和主義は天皇制存続と引き替えのものだった。もし、極東委員会主導の憲法ができていたら、天皇制を廃止して大統領制(もしくはドイツ型象徴大統領制か)になったかもしれないが、日本軍は残っていただろう。もしかすると今頃、石原大統領がイラクに日本軍を派遣して、米軍とともに戦っていたかもしれない。そんな想像をすると、マッカーサーは先見の明があったといえるだろう。
 憲法の平和主義は幣原首相の発案であったと主張する人が増えてきたようだ。誰が発案したか、真相は闇の中なので推測するしかないのだが、芦田均日記には次のような記述がある。この日記によると、平和主義はマッカーサーの発案で、幣原首相は日本の平和主義に世界はついてこないだろうと言ったとある。
憲法論議第二日 二月廿二日
朝の定例閣議の冒頭に於て幣原総理は昨日MacArthurと三時間に亘る会議の内容を披露された。以下総理談の要領を誌す。
(中略)
“又軍に関する規定を全部削除したが、此際日本政府ハ国内の意嚮よりも外国の思惑を考へる可きであつて、若し軍に関する条項を保存するならば、諸外国は何と言ふだらうか。又々日本ハ軍備の復旧を企てると考へるに極つてゐる。
“日本の為めに図るに寧ろ第二章(草案)の如く国策遂行の為めにする戦争を抛棄すると声明して日本がMoral Leadershipを握るべきだと思ふ”。
幣原は此時語を挿んでleadershipと云ハれるが、恐らく誰もfollowerとならいだらうと云つた。
MacArthurは、“followersが無くても日本は失ふ処ハない。之を支持しないのは、しない者が悪いのである。”
松本案の如くであれば世界は必ず日本の真意を疑つて其影響ハ頗る寒心すべきものがある。かくては日本の安泰を期すること不可能と思ふ。此際は先づ諸外国のReactionに留意すべきであつて、米図案を認容しなければ日本は絶好のchanceを失ふであらう。”
第一条と戦争抛棄とが要点であるから其他については充分研究の余地ある如き印象を与へられたと総理ハ頗る相手の態度に理解ある意見を述べられた。
 興味深いのは、松本が押しつけ憲法だと守られなくなるのではないかと述べ、芦田が自らつくった大日本帝国憲法でも守られなかったではないかと述べている箇所。
以上の如き説明に対して松本国務相はかなり興奮の面持を以て意見を述べられた。
『Basic formsが果して総理の云ハれる如きものであるとしても之がWhitney等の意見であるかどうか確めたい。然し私見によれば
(1)米国式方式を日本憲法に書き下すことは議会を前にして時間的に不可能であり、正に超人的事業であるから私にハ出来ない。
(2)仮にかかる案を提出すれば衆議院ハ或ハ可決すべきも、貴族院は到底承諾を与へざるべし。
(3)独乙、南米等の前例に見て明かなるが如く外より押つけた憲法ハ所詮遵守せらるべきものに非ず、混乱とFascismの弄ぶところとなるべし。
(中略)
私ハ次のように云つた。
戦争廃棄といひ、国際紛争は武力によらずして仲裁と調停とにより解決せらるべしと云ふ思想ハ既にKellog PactとCovenantとに於て吾政府が受諾した政策であり、決して耳新しいものでハない。敵側は日本が此等の条約を破つたことが今回の戦争原因であつたと云つてゐる。
又旧来の欽定憲法と雖満洲事変以来常に蹂躙されて来た。欽定憲法なるが故に守られると考へることハ誤である。
 日本国憲法がGHQによる押しつけ憲法だったとしても、GHQが憲法研究会案に注目していたことを考えれば、日本の民意もある程度考慮されていたといえないだろうか。重要なことは、石川氏がいうように、当時の民衆は新憲法を歓迎していた。
 新憲法制定から50年以上たち、憲法改正がとりざたされるが、私は憲法を変えるべきではないと思う。不都合になった部分は憲法解釈や法律の制定でカバーすべきだ。自衛隊による海外軍事貢献も場合によってはありだと思うが、それは憲法を変えなくてもできる範囲にとどめるべきだろう。

参考
芦田均「芦田均日記」(1945年~1946年の憲法改正関連部分)(日本国憲法の誕生・国立国会図書館)
著書(補筆):石川真澄『戦後政治史』(YamaguchiJiro.com)

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Comments

石川真澄氏の逝去に哀悼の意を捧げます。氏は私より2歳年上ですが、日本の良心を代表するジャーナリストとして尊敬していました。
「戦後政治史」にもあるように当時の吉田首相は「自衛のための交戦権も放棄した」と明言しています。法文上はともかく、精神的には自衛隊は違憲です。
自衛隊は違憲だから持ってはいけないのではなく、「軍隊を持ってはいけない」から憲法にそう書いたに過ぎないと思います。
「平和を愛する諸国民の信義に信頼して」(憲法前文)は分かりにくい言葉ですが、自衛隊を持つことで日本は信義を自ら破ったのです。まず自衛隊を解散しなければ「諸国民の信義に信頼する」ことは出来ません。
911テロでも分かるように先制攻撃を防げる軍隊などあり得なくなっています。だから自衛隊は不要であり、信義にもとると言う意味で有害なのです。
侵略を受けないようにする方法はあります。諸国民から信頼されるような行動を取ればよいのです。勿論、それには多額の費用と労力が掛かります。経済的には自衛隊を持つほうが安上がりかも知れません。どちらを選ぶかは本当に平和を求めているかどうかで決まると思います。

 工藤 恒男さん、こんばんは。
 私も憲法9条の理念は素晴らしいものだと思っていますし、9条は変えずにこれからも残すべきだと思っています。しかし、私は工藤さんと違って、自衛のための軍隊は必要だと思っていますし、軍事力による国際貢献も場合によっては必要だと思っていますが、その内容としてはPKO・PKF止まりにするべきで、イラク戦争のような有志連合は論外としても、国連決議の出た多国籍軍に参加するのは控えるべきだと思っています。理由は長くなるので、ここでは省略します。
 9条との法的整合性については、少なくとも日米新ガイドライン前までは憲法解釈で問題なかったはずです。
 最後に、非武装国家としてはコスタリカがありますが、米軍の傘の下にあるようです。冷戦が終わったので、EUのような中米連合ができれば、その中に入るのでしょう。日本もEUのような東アジア連合ができれば、日本の軍隊は解消できるかもしれませんが、北朝鮮や中国の存在を考えると、遠い将来になるでしょう。この先、かなり長い間、非武装は現実的選択肢ではないと思います。
鍛えられた平和主義(全8回)(JANJAN)
http://www.janjan.jp/special/econavi/list.php

Observerさんへ 私のコメントを真面目に読んでいただいたようで感謝します。
若干補足させていただきます。私はあなたのような意見が現在の日本に多くみられることは承知しており、私のような意見はごく少数だと思います。また、コスタリカは日本と条件がかなり違うので日本の取るべき方向としての参考にはならないと思います。
憲法が出来たとき私は小学生でしたから憲法をきちんと読んだのは何年か後のことですが、前文にはまさしく自分の考えと同じことが書いてあると感じました。ただ、国際社会が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」と言うのは勝手な思い込みであることを後で理解しました。だから、「前提が間違っていたから変える必要がある」と言う主張は理解しているつもりです。
しかし、「あの悲惨な状況を二度と作り出してはならない」と言う考えは変わりません。当時は同じ考えを持つ人が圧倒的に多かったと思いますが、今春発足した「9条の会」の発起人は私と同年以上の人しかいないのを見ても分かるように、あの悲惨な状況を体験した者でなければ理解出来ないのだろうと思います。
ある識者は「今世紀半ばに想定される食糧不足で人類滅亡の危機に瀕しなければ人々の考えは変わらないだろう」とし、別の識者は「それで考えを変えても人類の寿命を数世紀延ばすだけだ」と言っています。私はこの食糧不足のために起こる食糧争奪戦争は農地の荒廃と工場の破壊で食糧生産量を激減させ、第二次世界大戦など比較にならない悲惨な状況を生み出すと思います。強力な軍事力も兵糧攻めにあって役に立たないでしょうし、仮に戦争に勝ったところで悲惨さは変わりません。
幸い私はその前にお迎えが来て悲惨な目に逢うことはないでしょう。多分直面するのは孫の世代でしょう。しかし、この戦争を防ぐには長期に亘る大変な努力が必要で、自衛隊を解散することはその第1歩に過ぎないと考えています。

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