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September 20, 2004

『金で買えるアメリカ民主主義』を読む(3)

 1970年11月、チリ大統領選で社会主義者のアジェンテが過半数を獲得し、当選した。アジェンデ政権は、アメリカ系資本の接収、大農地接収、主要産業の国有化などを推進したが、1973年9月11日、軍部クーデタで崩壊、アジェンテ大統領も死亡。その後、ピノチェト軍部政権が独裁を強行。以後15年にわたる恐怖政治が始まった。
 ピノチェトによるクーデターは、米国による後押しがあったといわれている。米国はチリの共産化を阻止するためにピノチェトのクーデターを後押ししたと考える人が多いと思うが、グレッグ・パラストは単にアメリカ系資本を守るために、アメリカはピノチェトのクーデターを後押ししたと主張する。
 パラストが、クーデター当時チリのアメリカ大使を務めていたエドワード・マルコム・コリーから聞き出したところによると、チリで活動していたアメリカ系企業がCIAを自社の国際債務取立会社か投資保安部隊として使っていたという。クーデターの直接の原因は、チリの電話会社は国際電信電話会社(ITT)が所有していたが、アジェンデが電話事業を国有化したとき、チリ政府に対するITTの陰謀が発覚し、アジェンデは国有化したITTへの補償を拒否したからで、決してチリがソ連側についたからではないという。(第6章参照)

 グレッグ・パラストは1970年代半ば、シカゴ大学の大学院で、ミルトン・フリードマンのゼミに入っていた。ミルトン・フリードマンは過激な自由放任主義理論で、1976年にノーベル経済学賞を受賞した。その10年前の、1960年代半ばには、現在東大名誉教授の宇沢弘文氏がシカゴ大学で教授をしていた。当時のフリードマンを知る宇沢氏によると、フリードマンの考え方は、人間の尊厳を否定して自分たちだけがもうける自由を主張するものだという。
 フリードマン率いる政策集団「シカゴ・ボーイズ」は、ピノチェトのチリを自分たちの経済理論の実験台に使うことになる。

pp.293-294
 たしかにチリはいくつかの経済的な成功を収めた。しかしそれはピノチェトではなく、その前の大統領サルバドル・アジェンデの功績だ。彼はピノチェトに殺害されて10年たってから奇跡的に自分の国を救ったのである。
 これが真相だ。ピノチェト将軍が政権を掌握した1973年、チリの失業率は4.3パーセントだった。自由市場による近代化を試みてから10年たった1983年、失業率は22パーセントにもなっていた。軍事政権下の実質賃金は40パーセントも下がった。1970年、ピノチェトが権力を握る前にはチリの全人口の20パーセントが貧困層だったが、ピノチェト「大統領」が政権を去った年には倍の40パーセントにもなっていた。たしかにすごい奇跡である。
 ピノチェトは、たったひとりでチリ経済を崩壊させたわけではない。世界の学者たちのなかでももっとも頭の切れる集団、すなわちミルトン・フリードマンの弟子「シカゴ・ボーイズ」たちが九年間も努力を重ねてチリを破綻させたのだ。彼らの理論の魔法にかけられた将軍は、最低賃金制度を廃し、組合交渉権を違法とし、年金制度を民営化し、財産や営業利益に対する税金をすべて撤廃し、公職を削減し、212の国営産業と66の銀行を民営化し、財政黒字を実現した。将軍は国を率いてネオリベラル(自由市場)の道を行進させ、後にサッチャー、レーガン、ブッシュ、クリントン、IMFそして全世界がその後を追うこととなった。
 しかしチリでは実際には何が起こったのだろう。官僚主義の圧力や、税金や組合の規律から解放された国家は、大きく歩を踏み出して・・・破綻へ飛び込んでしまった。シカゴ・スタイルの経済成長を9年間続けた挙句、チリの産業は卒倒し、死んだ。1982年と83年には、国内総生産は19パーセントも落ち込んだ。これはもう立派な恐慌だ。自由市場の実験は失敗した。試験管は割れてしまったのだ。血とガラスの破片を、実験室の床一面に飛び散らせて。
 にもかかわらず驚くべき厚顔無恥をもって、シカゴの狂った学者たちは実験の成功を宣言した。

 アメリカ国務省は「チリは健全な経済運営の一つの事例となる」と結ばれたレポートを出し、ミルトン・フリードマンは「チリの奇跡」と呼んだが、チリでは暴動やストライキが起きて、ピノチェトは「シカゴ・ボーイズ」をチリから追い払った。その後、チリを救ったのは、フリードマンではなく、マルクスとケインズだったのである。
p296
 ニューディール政策はチリを1983年の恐慌からは救ったが、それ以降の長期的な経済再生と発展の要因は―子どもたちに聞かせるな―社会主義政策の多用である。国の年金制度を守るため、ピノチェトは社会主義者アジェンデにも想像がつかないようなスケールで銀行や産業を国営化していった。彼は意のままに企業を収容し、しかも補償はまったく、あるいはほとんどしなかった。

 このチリの例からわかることは、少なくとも過激な自由放任主義理論、フリードマンの新自由主義よりは社会主義の方がましだということだ。
 80年代の西側世界を席巻したレーガン、サッチャーの新自由主義(政治的には新保守主義)、90年代のソ連崩壊による資本主義の勝利とグローバリズム、日本では国鉄民営化から郵政民営化に至る、規制緩和の流れがある。JRやNTTは成功例といえるかもしれないが、労働法改悪によってリストラが増え、派遣社員やパート・アルバイトが増え、確実に所得格差が広がっている。不況だけが所得格差を広げている原因ではないのである。日本の一億総中流社会は、もはや過去のものとなろうとしている。

 ノーベル経済学賞を受賞する経済学者のなかには、フリードマンと対極的な学者もいる。最後にアマーティア・センを紹介して終わりにしたい。

p297
 地球の反対側で、もうひとつ別の経済実験が静かに、そして平和のうちに成功しつつあった。インド南部のケララ州が、1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センによる人道的発展論の実験舞台となった。所得の再配分と普遍的社会サービスを実現しながら、ケララ州は徹底的な公立学校教育を基盤とする経済社会をつくり上げてきた。世界でもっとも教育水準が高いこの州は、湾岸諸国に対する技術援助の輸出で外貨を稼いでいる。もしあなたがセンやケララについてほとんど、あるいはまったく聞いたことがないのなら、それは彼らが自由市場のコンセンサスに対して厄介な問題を突きつける存在であるからかもしれない。

参考
Friedman, Milton ミルトン・フリードマン(arsvi.com)
フリードマンのアイディア(arsvi.com)
構造改革論者の"教祖"ミルトン・フリードマンという人物(佐藤真彦研究室)
内橋克人,ジェーン・ケルシー,大脇雅子,中野麻美:「規制緩和 何をもたらすか」(佐藤真彦研究室)
新自由主義と不自由(バルタザールどこへゆく)

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