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August 20, 2004

ベネゼエラで反グローバリズムが信任される

 先日、「『金で買えるアメリカ民主主義』を読む(2)」でベネゼエラのチャベス大統領に言及したところ、その直後、ベネゼエラでチャベスを罷免するかどうかを問う国民投票が行われた。私は普段中南米に関心を払っていなかったので、国民投票が行われることは知らなかったのだが、こうなれば取り上げないわけにはいかない。パラストの本からそれてしまうので、別記事でまとめてみることにした。

 ベネゼエラは日本から遠いため、日本では情報が少ないのだが、ジャーナリストの益岡賢氏はコロンビアを調査しているようで、その関連で氏のページにはベネゼエラのことも詳しい。
 「ベネズエラ…何が起きたのか?」では、2002年4月のクーデタ未遂事件のことが詳しく載っている。時系列でまとめると次のようになる。
 
4日  公社の高級・中級社員による石油会社職員スト
6日  労働総同盟と経団連の共同スト
    民間テレビ局や新聞は,これに呼応してチャベス非難のキャンペーンを開始
9日  ゼネスト始まる
11日 資本家と労働組合による反政府デモ始まる
    反チャベスのデモ隊とチャベスの支持者が大統領官邸前で衝突
    チャベス大統領、非常事態を宣言
    国家警察の反乱、政治警察の不服従宣言
    陸軍本部とバスケス総司令官の反乱
12日 特殊部隊の大統領官邸突入とチャベス拘束、強制連行
    軍民評議会の成立.労働組合は排除される
    バスケス,チャベス派活動家への攻撃
    カルモナの爆弾発言
    バドゥエル准将の不服従声明 チャベス派の反撃開始
13日 チャベス派の大群衆が出現
    労働総同盟,カルモナへの支持を拒否
    フリオ・ガルシア将軍が不服従声明.軍の分裂
    バスケス総司令官,カルモナ支持を事実上取り下げ
    近衛兵団,カルモナを放逐
14日 ミラフローレスで最後の衝突、チャベスの生還

 この時系列が正しいとすると、『金で買えるアメリカ民主主義』p281の「24時間以内に生還した」というのは「48時間以内に生還した」の間違いだろうか。
 この事件を外国からわかりにくくしているのは、労働総同盟が実は資本家丸抱えの組合で、民間テレビ局・新聞社も反動的なメディアだったことだろう。普通、労働組合と民間メディアは政府に批判的というのが、先進国の一般的な姿だが、先進国の常識をベネゼエラに当てはめると事態をまったく反対に読み違えることになる。
ベネズエラ…何が起きたのか?(益岡賢のページ)

なぜ,日本で事件の全貌が報道されなかったのか
 おそらくいちばん正確な解答は,あまり関係ないからということだろう.確かにベネズエラは地球の反対側,遠い国である.プロ野球のペタジーニくらいしか知られていないだろう.日本の移民もほとんどいないから,南米のなかでも知られていない国のひとつである.
 また南米でクーデターといえば,年中行事のようなものだ.チャベス自身もやっている.いみじくも彼が述べたようにクーデターはラテンアメリカの悪しき伝統となっている.
 だが私はあえてかんぐりたい.そこには「有事とは何か」が,あまりにもはっきりと浮き出されているから,日本のメディアは報道をためらったのではないか?
 はっきりしているのは,有事は作り出すもの,作り出されるものということである.レシピは簡単,材料は軍隊と資本家とアメリカ大使館.敵は労働者と貧しい市民.味付けは「アカ」でも,「テロリスト」でも,「ドラッグ」でも,何でも良い.
 一番大事なのはマスメディアである.情報には三つある.正しい情報とあやまった情報と,どうでも良い情報である.マスコミによる世論操作には三種類ある.選択し誇張した「事実」(というよりデマ)を伝えること,膨大な無駄情報を伝えること,正確な事実と大事な真実を伝えないことである.ベネズエラの場合も,まさにこの三つの操作が集中的に用いられている.
 オリンピック一色のテレビを見ていると、マスコミによる世論操作の影響力の強さを感じる。例えば、卓球で愛ちゃんの試合を生中継していても、他に出ている日本の卓球選手は生中継しないどころか、ほとんど取り上げることすらない。沖縄で米軍ヘリコプターが大学に墜落したニュースは重大事件のはずだが、オリンピック報道の陰で小さく取り上げられるだけだ。報道ステーションが熱心に取材していた位だが、古館氏は久米氏ほど人気がないので、このニュースを見ている人は少ないのではないか。
 イラク人質事件の自己責任や中国アジアカップの反日ブーイング事件など、マスコミの世論操作力の強さを感じる事件は最近多い。日本でも有事法制との絡みで、ベネゼエラのようなクーデターが起こる余地があると思っておいたほうがいいかもしれない。

 余談になるが、最近思い出すのが、1993年のNHKドラマ「エトロフ遥かなり」。佐々木譲氏の『エトロフ発緊急電』を元にしたドラマでとても面白かったのだが、途中で南京大虐殺のシーンが出てくる。現在再放送したら、おそらく自虐的で反日的というクレームが殺到するだろう。もしかしたら、一部国会議員が国会で取り上げて、政治問題化するかもしれない。それを思うと、日本の世論も大きく変わったと思う。そうなったのも、不景気と中国の経済成長で中国に対する余裕が無くなり、強い日本を志向するようになったのが原因だと思う。民主党が選挙のときに「強い日本」というキャッチフレーズをつけたのには正直失望したが、リベラルだがポピュリズムの傾向がある菅氏がそのキャッチフレーズをつけたということが、時代の雰囲気をよく表している。
 中国の反日が盛んに取り上げられるが、なぜ中国が反日になったのかという大元の議論が抜け落ちている。江沢民の愛国教育が原因だったとしても、日中戦争という大元は変わりない。日本で原爆の悲惨さが強調されるように、中国で日本の残虐行為が強調されても不自然ではない。そもそも、中華人民共和国は抗日を土台にして建国された国である。強硬派の江沢民が中央軍事委員会主席を退けば、反日傾向が収束に向かうのか。少なくとも、小泉氏が日本国首相である限り、そんなことはないだろう。日本は中国に対して言うべきことは言わないといけないが、相手を挑発するような大臣の靖国参拝は、自らを江沢民と同レベルまで貶めていることになりはしないか。結果的に国際社会で影響力を行使しにくくなったら、自分で自分の首を絞めていることになりかねない。

 2004年7月15日に行われたチャベス大統領を罷免するかどうか問う国民投票は、約6割の信任という結果になった。信任投票というと、ナポレオンが皇帝に就任するために行った人民投票のプレビシットを連想するが、この投票は反対派が罷免を狙って、世界的にもユニークな憲法の大統領罷免規程を利用して、起こしたものだった。結果的にチャベス信任だけでなく、反米、反グローバリズムを宣言するものとなった。
 日本では、田中康夫長野県知事がリコールされた後、住民投票で信任されたことがあった。これは地方自治法に規程があるリコールを行ったものなので、プレビシットではなくレファレンダムである。
 両者とも、独裁的という批判も多いので、信任投票を機に強硬的な行政運営をすると、あの投票はプレビシットだったのかと批判されかねないところはある。

 グレッグ・パラストはフロリダで行われた投票操作がベネゼエラでも行われるかもしれないと警告していた。
ベネスエラ:投票を前に(益岡賢のページ) 

でも、自由で公正なものとはならないだろう。数カ月前、ちょっとした誰かが、私にファックスを送ってきた。ジョン・アッシュクロフトの司法省とアトランタのチョイスポイント社という会社との契約に関する部外秘のページのようだった。取引は「対テロ戦争」の一環であった。
 司法省は、納税者の金から6700万ドルもを随意契約でチョイスポイント社に支払うとしていた。数カ国の全市民に関する個人情報のコンピュータ・プロフィールに対してである。どの国の市民についてかが特に印象に残った。2001年9月11日のハイジャッカーたちはサウジアラビアやエジプト、レバノン、アラブ首長国連邦出身者だったはずだが、チョイスポイント社のメニューが提案していたのは、ベネスエラ人、ブラジル人、ニカラグア人、メキシコ人そしてアルゼンチン人の記録であった。CIAが、自爆タンゴ・ダンサーが爆発型エンチラダを抱えて国境を越えてくるラテン型陰謀を発見したとでもいうのだろうか?
 9月11日の攻撃に関係していなかったということ以外、これらの国に共通するのは何だろう? 偶然にも、いずれの国でも選挙に悪戦苦闘しており、それぞれの選挙で有力候補----ブラジルのルラ・イグナシオ・ダ・シルバ、アルゼンチンのネストル・キルシュネル、メキシコ・シティ市長選のアンドレス・ロペス・オブラドル、ベネスエラのチャベス----が大胆にも、ジョージ・W・ブッシュ氏の「グローバル化」要求に挑戦しているのだ。
 チョイスポイント社が最も最近有権者情報を我らが政府に売り飛ばしたときは、ジェブ・ブッシュ州知事を助け、フロリダの投票で悪党の所在を突き止めパージするためだった。チョイスポイント社が示した悪党たちは、結局のところ、VWBつまり黒人のくせに投票をしようとする民主党支持者だった。このちょっとした「誤差」のために、アル・ゴアは大統領の座を逃したのである。
 どうやら、ブッシュ政権はフロリダのショーを国境の南でもやろうとしているらしい。
 反大統領派は独自集計で罷免が成立していると訴えていた。フランス・ルモンド紙によると、16日、米国はベネズエラの国民投票結果を認めることを拒否し、反対勢力が唱える選挙違反について早急、完全かつ透明な調査を要求したという。選挙監視団を派遣していたカーターセンターや米州機構は「不正をうかがわせるものは見つかっていない」という声明を出した。その後、米国はクレームを撤回したが(ルモンド紙)、今回米国がクレームをつけたことはロイターも朝日も伝えていない。
 だいぶ前の大統領で、民主党とはいえ、カーター氏はどこまで中立なのだろうかという疑問を持った。カーター氏はケリー支持とはいえ、ベネゼエラに肩入れするとも思えない。しかし、この声明を聴く限り、ワシントンのブッシュ政権とはだいぶ距離を置いているようだ。「The Nobel Peace Prize 2002」によると、
彼のカーター・センター(それは2002年にその20周年記念を祝う)を通して、カーターは大統領職以来ずっといくつもの大陸で非常に広範囲に、我慢強く矛盾の解決を試みています。彼は人権に顕著なコミットメントを示し、無数の選挙でオブザーバーを世界中で務めました。
とのことなので、カーターセンターは選挙監視団としては権威あるNGOなのだろう。

 チャベスはキューバのカストロと仲がいいが、パラストによるとチャベスは共産主義ではなく、反米ではあるが単にケインズ型の福祉国家を目指しているようだ。ベネゼエラがキューバ化するかのように誤解を招く記事も見かけたが、この辺りは大事なところであるから、新聞記者の方には正確を期してもらいたいところだ。
ベネズエラ:チャベス大統領、キューバの手法まねた貧困対策と農村開発へ(毎日新聞)

参考
ベネズエラの国民投票をめぐる情勢(media@francophonie)
ベネズエラのチャベス大統領、信任される 国民投票結果(朝日新聞)
ベネズエラで反大統領派市民に発砲 1人死亡(朝日新聞)
国民投票(韓国・中央日報)
レファレンダム(referendum)とプレビシット(plebiscite)など
憲法改正以外の国民投票は憲法違反か
ナシオン主権とプープル主権など
The Nobel Peace Prize 2002

August 15, 2004

『金で買えるアメリカ民主主義』を読む(2)

 水道の民営化はイギリスで始まり、エジプト、インドネシア、アルゼンチンへと事業を拡大していったが、ボリビアで始めたところで、民衆の抵抗にあった。
 ボリビア・コチャバンバの水道をロンドンのインターナショナル・ウォーターズ社(IWL)が買収、35%の水道料金値上げを実施した。2000年4月、民衆が抗議運動を起こすと、政府から話し合いの申し出があり、抗議運動のリーダーであるオスカー・オリベラたちが政府庁舎に入ったところ、逮捕されてしまった。それを受けて、建物の外にいた500人の群衆がデモを起こすと、軍が催涙ガスを発射して、銃弾を撃ち込み、死者6名、負傷者は失明した子供2名を含む175名の大惨事となった。
 IWLはアメリカの巨大建設会社ベクテル社(サンフランシスコ)の別名。ベクテル社はレーガン政権のジョージ・シュルツ国務長官が代表を務めていたことがある。
 水道料金値上げの原因は、IWLが必要以上に大規模なダムを造ろうとしていたことにあった。グレッグ・パラストはこの点を取り上げて、水道事業民営化の問題点について端的にこう指摘する。

p265
資本プロジェクトに金を出すのは投資家であり顧客ではない。これは会計学上の基本原理だ。そのプロジェクトが販売できる製品を生み出せるようになってはじめて、リスクを負っていた投資家たちはその利益で今までの投資を回収する。これが「資本主義」と呼ばれるシステムの真髄であり、魂であり、正義である。ともかく理論的にはそうだ。しかし独占企業が乗り込んできて町の水道の蛇口を掌握してしまえば、株主でなく、囲い込まれた顧客から資本プロジェクトに投下する資金を簡単に調達してしまうのだ(たとえそのプロジェクトが市場価格比600パーセントであってもだ)。
 このボリビアのデモはIMFや世界銀行であらかじめ予測されていた。世界銀行元チーフエコノミストのジョセフ・スティグリッツ(注)によると、世界銀行の援助戦略は以下の4段階からなる。
1   電力・水道会社等の民営化(国のリーダーたちにリベートが渡った。正確には「賄賂化」)
2   資本市場の自由化(金の国外への流出。「ホットマネー」サイクル)
3   市場原理にもとづいた価格決定(電気、水道、食料、家庭用ガス料金値上げ)
3.5  IMF暴動(料金値上げに反対する民衆の暴動を軍隊が鎮圧)
4   WTOと世界銀行のルールにもとづく自由貿易

 ボリビアのデモはIMF暴動の一例で、他に、1998年、IMFがインドネシア政府に貧困層への食料等に対する補助金を廃止させて国中で発生した暴動や、2001年、エクアドルで世銀が強要した家庭用ガス料金値上げをめぐって起きた暴動などが挙げられる。

 世界銀行を辞めたスティグリッツは途上国援助について、急進的な農地改革が必要だと考えていた。一般に、地主によって課される地代は収穫の50%という高率だ。しかし、スティグリッツは「土地所有への挑戦は、エリート層の権力図に変化が生じることを意味します。そういうことは、世銀の優先的な議題とはならないでしょう。」とパラストに話している。

 世銀スタイルのグローバリゼーションに背を向ける発展途上国がいくつかある。ボツワナ、中国、ベネゼエラなどである。
 ベネゼエラのチャベス大統領は米国を激怒させる2つの法案を通過させた。第一に、土地を持たない者に遊休地を与えることを約束する新たな土地法。第二に、海外資本の石油会社からとる採掘税の増税。さらに、海外資本に乗っ取られていた国営石油会社を掌握するために動いた。
 石油法案は、ベネゼエラが米国への石油輸出国トップで、OPEC議長国でもあったことから、米国が危機感を持ったのだが、土地法案のどこに米国が危機感を持ったのか。

p289
チャベスは、世界銀行とIMFがアルゼンチンに与え、究極的には強要した指導とまったく反対の道をとった。ベネゼエラへの投資を手控えさせるという企業による制裁の結果生じた景気の冷え込みから抜け出すため、チャベスは石油会社に税金を課し、その金を使った―「レンガとミルク」政策のために。これは古典的なケインズ的政策である。チャベスのレトリックとは裏腹に、こうした施策は革命的でもなんでもない。チャベスはフィデル・カストロではない。実際、彼は社会主義者でも何でもないのだ。マルクス主義は冷戦の「敗者」の哲学として信用を落としてしまったが、「チャベス主義」はますますラジカルになっている。チャベスは古いタイプの社会民主主義的改革者だ。住宅とインフラへの投資を増やし、商品の輸出価格を統制し、土地を持たない者に土地を与えた。これはスティグリッツ教授が世界中の貧困の核心にあると指摘する「地主主義」への攻撃だ。もし、チャベスがジョン・F・ケネディの時代に政権を勝ち取っていたら、ケネディが暖めていたコミュニズムに対するより穏やかでやさしい答えである「進歩のための同盟」の開発モデルにぴったりはまったにちがいない。今日、チャベスの富の再配分による改革は、IMFの企業よりの自由市場特効薬に替わる、たしかに機能する代案を提供している。
(中略)
チャベス政権の大臣が、ベネゼエラの成功は許すことができない脅威的な例なのだと言った意味はこれだったのだ。新グローバリゼーション秩序に異を唱える者は罰を受けるのだ。
 2002年6月、チャベス大統領は誘拐されたが、24時間以内に大統領宮に戻ることができた。チャベスは米国大使館付き武官が、自分が監禁されていた軍の基地に入っていく様子を収めたビデオテープを持っているという。
 そのとき、首都カラカスで20万人がチャベス大統領に抗議してデモ行進を行い、米国メディアが取り上げた。しかし、同じときに50万人がチャベス大統領を擁護してデモ行進を行ったことは米国メディアは取り上げなかった。p280に「われわれが見てはならなかったカラカスでのデモ」というそのときの写真が載っている。

 次回は、チャベスのベネゼエラ以上に米国を激怒させたアジェンデのチリについて。


ジョセフ・スティグリッツは1999年、世銀スタイルのグローバリゼーションに反対意見を述べ始めたところ、アメリカ財務省長官ラリー・サマーズの要求で世界銀行を退職させられる。その後、2001年、ノーベル経済学賞を受賞。著書に『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』などがある。

中南米関連のニュースサイト
中南米新聞
益岡賢のページ

8/20訂正
 チャベス大統領は誘拐されたのは2002年4月。首都カラカスで2つのデモ行進が行われたのは2002年6月。
 詳しくは「ベネゼエラで反グローバリズムが信任される」参照。

August 08, 2004

重慶爆撃について

 中国の重慶で行われたサッカーのアジアカップを見ていると、日本は中国と戦っているわけではないのに、中国の観客が日本にブーイングをしてくる。重慶とはいえ、これはやばいと思っていたら、やはり反日ブーイング事件として社会問題となった。日本では、読売の社説に見られるように、江沢民の愛国教育が元凶とする見方が多かった。しかし、橋本元首相と小泉首相の靖国神社参拝も大きい。神社にお参りに行くなと外国から言われる筋合いはない、と単純に反発して参拝し続けるだけであれば、日中間はいつまでたってもギクシャクしたままだろう。しかし、その後心配されていた北京の決勝戦は日本が勝って、大きな騒ぎにならなくて良かった。
 私は初め、重慶だから特に反日感情が強いのではないかと思っていたのだが、あまり関係ないようだ。今回の事件はサッカーの試合で起きたことなので、政治的な問題と違って、あまり尾を引かないだろう。
日々是亜洲杯2004 重慶にて「ゴジラ」と出会う(スポーツナビ)

確かに重慶の人は気性が荒いですし、若い人でも(旧日本軍による)重慶爆撃のことは知っています。でも、だからといって、ここが特別に反日感情が強いわけでもないと思いますよ。今年の4月にも、日本のバンドがここでコンサートを開きましたが、何も問題はありませんでした。人と人では、こういう問題は起こらないと思います。でも今回のサッカーの試合は、やはり国と国ですからね。
 もっとも、スタジアムで何が起こったかについて、重慶のほとんどの人は知らないと思います。ましてや、日本での反発など知る由もないでしょう。昨日の新聞(『中国青年報』=中国共産主義青年団の機関紙、29日付け)で、重慶市民が日本の国歌にブーイングしたことを非難する記事が載っていましたが、記事の扱いとしてはとても小さいものでした。だからほとんどの人が、何が起こったのか知らないんですよ。
 タイとの試合は、私も観戦しました。あのブーイングを聞いたときは、何だか恋人の悪い面を見せられたような心境でしたね。私はやっぱり、重慶が好きですから。でもおかしかったのが、最初に流れたタイ国歌で、ブーイングしようとしていた人がいたことです。スタンドにいたほとんどの人が、実は君が代なんて知らなかったんだと思います――」
 さて、今回のテーマの重慶爆撃であるが、当時重慶は国民政府の臨時首都で、日本軍が激しい空爆を行ったということしか私は知らなかった。今回、インターネットで調べてみたが、重慶爆撃について書かれたページはあまりなく、少しだけあったページのほとんどが前田哲男氏の『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』の内容に関するものだった。この本は絶版なので、図書館で探すしかないようだ。この本によると、重慶爆撃は戦史初の戦略爆撃作戦と位置づけられるという。
前田哲男『戦略爆撃の思想』(正林堂テーマ館)
戦史初の戦略爆撃作戦
第一に、日本軍の重慶爆撃は「戦略爆撃」なる名称を公式に掲げて実施された最初の意図的・組織的・継続的な空襲作戦であった。ドイツ空軍のゲルニカ攻撃より約1年遅れはしたが、1日限りではなく三年間に218次の攻撃回数を記録した。空襲による直接の死者だけで中国側集計によれば1万1885人にのぼる。ドイツ空軍が英本土に対して「アドラー・ターク(鷲の日)」攻勢を開始し、あの「バトル・オブ・ブリテン」の始まる日までに、重慶は二夏の爆撃を体験し、日本軍飛行士によって市街地は「平らになった」と報告されていた。英空軍によるベルリン爆撃より「五・三、五・四」の方が1年3ヶ月も早い。つまり重慶は世界のどこの首都より早く、また長く、かつ最も回数多く戦略爆撃の標的となった都市の名を歴史にとどめるのである。
 その意味で「重慶爆撃」は、東京空襲に先立つ無差別都市爆撃の先例であり、核弾頭こそ使われなかったものの、思想においてそれはまぎれもなく「広島に先行するシロシマ」の攻撃意志の発現であった。第二次世界大戦の中から生まれてきた「戦略爆撃の思想」が広島・長崎を転回点として核戦略に転移し、航空攻撃から弾道ミサイルによる「経空攻撃」へと飛躍して地球と人類にのしかかっている現実を考えるなら、ゲルニカ―重慶―広島への流れは、人類絶滅戦争=みなごろしの思想の原型を形づくったといえる。
 加えて重慶から流れ出たもう一つの支流「焼夷弾からナパーム弾」への分野を見ると、東京空襲から朝鮮戦争、ベトナム戦争と続き、イラン・イラク戦争、湾岸戦争に至るまで、枚挙にいとまない血と炎の濁流を目撃できる。これも「重慶の遺産」と無縁ではないのである。

 なお、重慶爆撃では当時世界最高性能を誇った零戦が使われていた。
 1937年から39年にかけて、日本は中国の華中、華南で中国軍に苦戦を強いられていたが、中国軍はアメリカ陸軍航空隊退役将官クレア・L・シェンノートによって立て直されていた。そこで、制空権を確保するために、新型機・零戦が急きょ投入された。

 さらに、米国のシェンノートを中国空軍の顧問に招いたのは、蒋介石夫人の宋美齢だった。シェンノートは「飛虎隊(チーム・フライングタイガー)」を打ち建て、シェンノートの支援のもと、宋美齢はごく短期間のうちに空軍内部の指導権を掌握し、後に「中国空軍の母」と呼ばれた。
 なんと、宋美齢氏は昨年まで存命していた。2003年10月23日、米ニューヨーク・マンハッタン島の自宅で死去。享年106歳。当時、ニュースでも取り上げられた。
 宋美齢は孫文を援助した浙江財閥の宋嘉樹の3姉妹の三女。次女の宋慶齢は孫文の夫人で、戦後も大陸に残り、59年から75年まで中華人民共和国の国家副主席をつとめた。3姉妹がそれぞれ歩んだ人生は、現代中国の激動の歴史そのものだった。

参考
新聞社Webサイトの「社説」がどんどん隅の方へ ・・・サッカー・アジア杯「反日」批判の情報コレクトとして(blog::TIAO)
なぜ重慶で日本人がブーイングを受けるのか(MSugaya Blog)
前田哲男『戦略爆撃の思想』(正林堂テーマ館)
零戦の栄光(LANDING GEAR)
宋美齢氏 伝説の生涯(人民網=人民日報)
宋慶齢(現代中国ライブラリィ)

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